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2013年5月22日 (水)

N・Kへ

 君が亡くなった時の様子が知りたくて先日、N君と君の家を訪ねたよ。事故の後のリハビリの最中に訪れた家は引越して、転居先は電話で住所を聞いただけだった。

 H駅からバスに乗り近くの病院を目印に停留所で降りた。住所表示が少なくN君と思案していた時に近くに交番があった。まったく偶然だけど、そこの若い警官が君の死で通報を受け自宅に駆けつけたという話だった。場所を教えて頂き家を探し当てたよ。バス通りから、なだらかな坂道をN君とぶらぶら降りて家の近くまで辿りついた。表札のかかった二階建ての家には人の気配がしなかった。ご近所付き合いもされてなかった、という若い警官の話だったので、メモでも書いてドアに挟んで帰ろう、とN君に話したのだった。ところが、そうこうしているうちに家の中から物音がして玄関からお母さんが出てこられたのだよ。あの世の君やお父さんがお母さんに知らせたのかもしれないね。最初は突然の来客で怪訝な表情で警戒もしていただろうお母さんとは玄関で立ち話をしていたのだけど落ち着いてこられて居間に通してくださった。

 お兄さんには初めてお会いしたよ。半裸の状態で言動から明らかに精神を病んでいるのが察知された。電話した時の対応の仕方は弟の死で混乱していたのではなく、あれが常態だったのだね。お母さんの話では異変を知ったのは去年の大晦日の朝ということだった。結核で入院したという話は電話で君から聞いていた。お母さんは、君が30日の日に突然帰ってきて、好きなお酒を飲んで寝たと話された。病院での年越しは寂しくて家族と一緒に年を越したかったのだろうね。君が上機嫌で話していた様子もお母さんは気丈に話してくれた。警官の話ではお母さんは高齢で痴呆も現れているという話だったけど、記憶はしっかりしておられた。親子で楽しい話もしたけれども、翌朝、玄関の前でうつ伏せになって意識がなかった、という事だった。お母さんが交番に通報したのだろうか、警官が駆けつけたのはお昼ごろだったと話していたよ。警官の話では先に亡くなった妹さんのご主人が駆けつけて、事後処理を行ったと話していたけれど、それはお姉さんの間違いだろう。ご主人は近くの大学の教授をされて、お孫さんもいらっしゃると君から聞いていたからね。

 バイクで自爆事故の後に何人かの同窓生たちと集中治療室を訪れて以来、退院してしばらくしてMやHら同窓生たちと見舞いに訪れた時にお会いした筈のお母さんは腰が曲がり本当にちんまりとした姿になられていた。事故後の10数年は、実にあっという間に過ぎてしまったね。先にも書いたけれど亡くなられた恩師のK先生宅を訪れた時とT君の送別会の時に会ったのが最後になってしまったことを悔やむよ。

 数年前にお父さんが亡くなられ、また君に先立たれ、精神を病んだお兄さんと暮らす、お母さんの悲しみとお苦しみはいかばかりか。お母さんは君が若かりし頃の写真を見せてくれた。私の知っている知人の方のお名前も拝見した。酷い事故のあとに懸命に生きている君の姿を見て何の援助もできなかったアカショウビンや同窓生たちのことを純粋で本当に清らかな心を持っていた君は憾むことはないだろう。それだけに君の突然の死が無念でいっそう悔やまれるのだよ。もっとも深い悲しみにあるのはお母さんだ。病むお兄さんをかかえられての生活は他人には計り知れない苦しみだと思われる。あの世があるとするなら君やお姉さん、お父さんは、お母さんとお兄さんをしっかり見守っているだろう。われわれ同級生も何か手助けをしたい。改めて同窓生たちと弔問するよ。

 君の死を知った後で5月の連休中に開かれた同窓会では諸氏お元気だったよ。それでも此の世での喜怒哀楽はそれぞれだろう。成功した者も、君のように事故後のリハビリで苦しんだ者もいる。生き残った我々も、いつか最期を迎える。アカショウビンの生活も時に無気力に落ち込むことも多いよ。きょうは出張で長野県の浅間山の麓に来ている。天気もよく汗ばむほどの陽気で浅間山の姿もよく見えた。でもこの山は秋から冬の澄み切った大気の中で見るのが一番だね。関東に戻ってきて今年の夏で3年目を迎える。最初の頃は古巣に戻り出張も新鮮だったが、この頃はマンネリ気味だよ。しかし娑婆での時間はもう少しありそうだ。再会する機会があったら、せいぜい面白い土産話ができるように生き抜いていきたいと思うよ。その時は、もう一度、T君の送別会の時に新宿のカラオケで熱唱したビートルズの「ゲット・バック」を聴かせてくれ。

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2013年5月16日 (木)

みずから知るの明

人間というやつは困ったことに「みずから知るの明」がない。魯迅は短編「端午の節季」(岩波文庫 1981年2月16日 竹内 好訳 p160)で書いている。教員を兼任する役人である主人公の方玄綽(フアンシワンチョ)を評して。その前の文は、「かれの癖として、その際よく中国の将来の運命といった問題を引き合いに出し、うっかりすると自分で自分を憂国の志士と思いかねぬところがある。」

アベやハシモト、イシハラ何某たちよ、それに中国の権力の亡者たちよ、たまには外国や自国の古典や名作を昧読するがいい。権力を乱用し妄言と無知が溢れるテレビ映像を見ていると眩暈がする。それはあながちサラリーマンたち従業員を使用人として、己の妄想で精神異常と見る経営者の暴言とも共通する。それはまた別な話だが。

一寸先は闇、と同様に愚かな権力の亡者たちに振り回されれば、国家は暴走し地獄の惨状に国民を追い込む。それはわが国の100年の歴史を振り返っても現在の世界の現状を見ても変わらぬ真実である。

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2013年5月12日 (日)

日本ファシズム考

 辺見 庸氏(以下、敬称は略させて頂く)のインタビュー記事が9日の毎日新聞夕刊第3版に掲載されている。見出しは「今の日本は自己規制、ファシズムの国」。冒頭、これまで著作の中で何度も引用してきたウンベルト・エーコのファシズムの定義を引いている。「如何なる精髄も、単独の本質さえもない」。この定義により辺見は「今の日本はファシズムの国だよ」と述べている。記者は、「ファシズム」とは大衆運動や個人の行動がコラージュのように積み重なったもの。独裁者の言葉に突き動かされるのではなく、そんたくや自己規制、自粛といった日本人の〝得意〟な振る舞いによって静かに広がっていくということだ、と辺見の発言を述べ、ムソリーニやヒトラーの姿ではなく「そういう、銃剣持ってざくざく行進というんじゃない。ファシズムはむしろ普通の職場、ルーティンワーク(日々の作業)の中にある。誰に指示されたわけでもないのに、自分の考えのない人びとが、どこからか文句が来るのが嫌だと、個人の表現や動きをしばりにかかるんです」と辺見は述べる。

 辺見の発言の中で面白いのはNHKで繰り返し流されてる「花は咲く」という歌が先の大戦のさなかに流行した「とんとんとんからりんと隣組」という歌と一緒だよね、という話だ。それは辺見や同世代の感覚なのかもしれない。辺見より後の世代のアカショウビンからすれば、それは興味深い指摘と言える。あれはノーギャラで芸能タレント、テレビキャスター、政治家が出演しているらしい。言われてみればアカショウビンが気持悪さを感じたのは暫く前に流行したスマップというグループが歌った〝世界に一つの花〟という歌詞がある歌だった。それを何年か前の同窓会の席で同窓生が歌った。その頃は多くのカラオケで歌われたことだろう。しかしアカショウビンの好みから言えば気色の悪い歌だった。未だにあのグループはテレビ界の人気者のようだ。それはどうでもよい事だが、辺見の感覚とアカショウビンの感性で響き合うものがあるとすれば、その辺りかもしれない。文芸誌の編集者は「あれはみんながノーギャラでやってて、辺見さんも自作をちゃかされたら嫌でしょ」と話したらしい。

 記者は辺見を「地中海人的だ」と評する。それは新作を呼んでから改めて考察してみるが、辺見の近況が知られてよかった。先日は学生時代以来の友人と最近の政治状況で熱く語った。アカショウビンの基本姿勢はボンボンに政治を任すな、というものである。コイズミ、アソウ、イシハラ、アベのアンポンタン共に振り回されている此の国の現状は中学生か、せいぜい高校生の学級委員会のレベルである。テレビを見れば若い娘達が飛び跳ねて、それを〝草食系〟だか〝動物系〟だか知らないガキ共がそれに群がっている。ガキは餓鬼であり老若男女を問わない。そのような現状に辺見は日本国のファシズムを視る。その視線は熟考しなければならない。

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2013年5月 8日 (水)

魂と心

 昨夜、久しぶりに立ち寄った洋食店で夕刊の村上春樹氏(以下、敬称は略させて頂く)の公開インタビューの記事を読んだ。「魂のネットワークみたいなものを作りたい。人は魂の中に物語を持つ。それを、本当の物語にするには相対化が必要で、そのモデルを提供するのが小説家の仕事」(朝日新聞)。これは正確かどうか定かでないが村上は述べたらしい。毎日新聞は「『物語』とは人の魂の奥底にあるもの」の見出し。記事では「『物語』とは、人の魂の奥底にあるもの。心の一番深い場所にあるからこそ人と人を根本でつなぎ合わせることができる」と書かれている。ここで当然の如くに述べられている「魂」という語と「心」という語に今や世界的な人気小説家に変貌した作家の到達した境地が公にされて興味深い。「魂」とはドイツ語でゼーレ、「心」とは英語ではハート、ギリシア語ではプシケーあるいはアニマであるだろうか。

 それはともかく「人は魂の中に物語を持つ」とは小説家の我田引水ではないかと皮肉の一つも言いたくなるが、これは検証するに値する断言と思われる。また村上がユング派の精神分析家として生涯を終えた河合隼雄の言説、あるいは論説にも深く影響されたという事もアカショウビンには興味深い。これは西洋哲学の「存在論」とも絡んでくる領域に小説家が踏み込んでいることとも思われる。そのうちインタビューの全容が知らされるであろうから更に再考したい。

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2013年5月 6日 (月)

追悼と遺書

 Nが亡くなったのは12月31日であることが昨日の同窓会でM君から報告された。昨年、電話で話した時には結核で入院した、と話していた。退院して養生しているところと話していたから安心していたのだ。アカショウビンも秋から暮れにかけて仕事が忙しく退職も想定しながらの状況で忘年会どころではなかった。K先生のお悔やみとT君の送別会で会った時が今生での最後となってしまったのが悔やまれる。

 Nとのこの10数年の出会いを辿ろうとメモなどを整理しているとNより先に亡くなった共通の友人Sの遺書のコピーが出てきた。Nは遺書らしきものは残したのだろうか。Sは心筋梗塞で急死した。しかし死の予感があったのかもしれない。亡くなる2年前に家族にも知らせず遺書を残していた。Sは真宗の門徒で親鸞や法然に詳しかった。聖書も読んでいて宗教や思想関係の文献を広く読み込んでいた。ご家族から見せて頂いた遺書の一部を引いて、既に逝った友人たちの無念と覚悟を残しておきたい。  

 今、テレビを見ていたら「昔、海の向こうから戦がやってきて、あの日、鉄の雨に打たれ父は死んでいった」と「さとうきび畑」という作品で森山良子が歌っている。さらに「夏の日差しの中で 私の生まれた日に 戦の終わりはきた」と歌詞は続く。それは、時の移り変わりの不可思議さに「私」は「知らない父の手に抱かれた夢を見た」という歌詞は心を打つ。歌詞の中の「私」は父を求めているわけだが、父は、あの激しい戦闘の中で死に、この世には存在していない。「私」の中の彼、彼女の生きている景色と感情の中で、「夏の日差しの中で」それは或る「意味」を持ち「私」は現実には存在しない父を「想い起こす」のだ。

私も、この世を去る時が来る。父の死後も実家で一人生きている母親より先に行くとすれば、それは世間では最たる親不孝だ。しかし仏教ではそうは説かない。母には、この遺書を通して、それを伝えれば、私という「最たる親不幸」の生きた意味を少しは納得してくれるかもしれない。

学生時代に観た「死刑台のメロディ」という映画は、私に「怒り」とは何かを痛烈に訴えた。私は「政治」に関わったという経験は殆どない。学生時代の友人や、かつての職場で、それらしき議論は随分したが、青年期に、この作品ほど「現実」が「政治」に深く関わっていることを私に教えてくれた作品は、それ以後もそれほどあるわけではなかった。

友人達へ

2002年8月18日のきょう、高校の同窓会で寮歌を聴いた。あれは俺達の、あの当時の気分をもっとも力強く表現している象徴的な歌だと思う。私の中にある青春の息吹が甦る気がした。あの頃、俺達の生きる力は頂点にあったといってもよいだろう。今も、あの気分を継続している友人達に心からエールを送る。あの頃からすれば各自の生き方はそれぞれだ。しかし、あの頃に語り合った理想の火は今の私にも引き継がれていることは言い残したい。

諸氏よ。俺は次に生まれてくる時は作曲家になって人間として前世よりは高い境地に至りたいと思う。しかし人間に生まれてくるとは限らない。

Nよ、長生きしろよ、九死に得た一生だ。大切に命の炎を燃やせ。いつか聞いた君の寮歌は、本当に久しぶりに青春が甦った気がしたのを覚えている。ご両親にもよろしく伝えてくれ。お父さんの姿とお母さんの電話の声は、故郷の人達の懐かしい姿と声として私の中に焼き付いている。

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