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2013年4月 3日 (水)

1945年4月7日

 戦艦大和が米軍によって轟沈させられた日である。今朝の毎日新聞朝刊(10面)で記者がコラムを書いている。生き残りの乗員と2006年の秋、新聞社の飛行機で現場を訪れたという。乗員は、最初は取材を拒否したが、記者のたっての願いを受け入れ共に機内から海を臨み乗員は敬礼したと書いている。記者は特攻の生還者23人に取材し話を聞いた。「あんただけ生き残って」となじられた話も聞かされた。その乗員も昨年3月に86歳で亡くなられたという。

 記者は、「そう、遠くない将来、戦争体験者へのまとまった取材はできなくなるだろう。誰かが残さなければ『なかったことに』なってしまう記憶を、歴史に記録し続けたいと思う」と記事を締めくくっている。

 アカショウビンは学生の頃に吉田満氏の「戦艦大和の最期」を読み痛烈な刺激を受けた。艦長付きの若い吉田氏は戦闘状況を逐一記録した。そして沈没の直前、自らの身体を舵に括りつけ艦と沈む覚悟の操舵長に、私もご一緒させてください、と願うと操舵長は、おまえは生き延びろ、そしてこの戦いを報告せよ、と一喝される。奇跡的に吉田氏は生き残った。その記録は苛烈な戦闘報告書である。読む者は襟を正さざるをえない。

 青梅の疎開宅で、小林秀雄の仲介で吉田氏と会った吉川英治は、はらはらと涙を流し小林に出版の労を願ったと書かれた小林の文章はかつて読んだ。米軍の波状攻撃で嬲り殺しにあった大和乗員3332人の戦闘は吉田氏の筆で後世に残された。アカショウビンは戦後の吉田氏の著作も読み、先の大戦の或る戦闘状況に思いを馳せる。毎日の記事を読み、沖縄の現状と共に改めて沖縄戦の過酷も辿りたい。

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