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2013年2月17日 (日)

ドイツ映画と白隠展

昨日、高校以来の友人N君から頂いた招待券で「東ベルリンから来た女」(クリスティアン・ペッツォルト監督 2012年)というドイツ映画を観に渋谷まで赴いた。ところが次の上映まで時間が空き、これ幸いとばかりに同じ建物の美術館で開催されていた「白隠展」を訪れた。白隠の達磨絵は近世美術の中で実に個性的で専門教育を受けたこともない禅者の偏執さえ看取する作品群だ。還暦を過ぎて絵の創作意欲は益々盛んになる。それを展示作品はよく構成していた。映画の上映まで約1時間半で忙しない鑑賞だったが主要作品は幾らか熟視することができたことは幸いだった。

 江戸時代の臨済宗中興の禅師として高名な白隠慧鶴(1686年~1769年)は、諸国行脚の過程で長野県飯山の道鏡慧端(正受老人)から厳しい指導を受けた。そこで悟りを完成させたと伝えられている。絵の専門的な技術は学ばなかったようだが達磨像に対する執着は雪舟の「慧可断臂図」なども想起させられる。当時の水墨の見事さは日本人が中国から多くを学び傑出した絵師を輩出させた。白隠の病的で時にユーモラスな作品は晩年の見事な「大燈国師像」や女郎のお福を優しく面白く描いた作品を観ればよくわかる。特に「大燈国師像」は晩年の作で下書きから絵筆ははみ出ているが墨の濃淡の対照と全体の構図は絶妙なバランスを保っている。「白澤」という霊獣も当時の庶民には広く知られていたという。その生き生きとした印象は画集では伝わるまい。ここ数年でみたフェルメールの幾つかの作品もそうだった。作品のサイズ、絵の具の厚みなどによる細やかな色彩の変化は作品に正面しなければ実感できないことを痛感した。

 白隠もそうである。禅師として尊崇を受けながら晩年は憑かれたように達磨や経典を賛として書き込むことで祖師たちの精神や生き方に迫りたかったのだろう。最近たまたま読んでいる中国唐代の禅者に詳しい入矢義高氏の著作「増補 自己と超越 禅・人・言葉」(2012年2月16日 岩波現代文庫)や「増補 求道と悦楽 中国の禅と詩」(2012年1月17日 同)を読むと道元以来の禅者たちが馬祖や雪峰、玄沙など中国禅の研究と併せて禅が日本でどのように展開されたかを眺望できる。その思索は改めて継続し発語していきたい。

 そそくさと会場を出て映画劇場に向かった。大劇場ではなく音響効果も良い劇場だった。以前にも来ているはずだが暫くぶりで迷った。作品には集中できた。ベルリンの壁が崩壊する9年前の東ドイツの田舎町の状況を描いた佳作だ。いかにもドイツ映画らしいといえば大味な感想だが当時の医療事情なども丁寧に描いてシリアスで緊張感に満ちて静謐な作品だった。

 本日は「東京家族」(山田洋次監督)も観てきた。それは比較にはならないだろうが日独の作品の違いが実に鮮やかと思えた。とりあえずは知のドイツと人情の日本とでもいっておいてよい。しかし松竹の大先輩である小津安二郎監督の「東京物語」に捧げたオマージュは山田流に翻案されて山田監督の小津監督に対する敬愛の念が深く伝わった。監督生活50年の老境の名匠と今が盛りの監督の作品の比較は一筋縄ではいかないがいずれ試みてみよう。

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