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2012年12月26日 (水)

米長邦雄永世棋聖追悼

 ブログの「さわやか日記」は12月3日の書き込みが最後だった。以後は病状が悪化したものと思われる。将棋ファンとして突然の死に驚いた。ブログをたまに見ながら前立腺ガンは快癒したものと思っていたからだ。昨日購入した「週刊将棋」に掲載されている写真は頬が削げて病状の苛酷を示していた。しかし少年や少女のような、と形容してもよい瞳の輝きと美しさは稀代の将棋指し、勝負師としての米長邦雄という人の姿を捉えていると思った。同時代を生きて、その将棋や言動に関心を掻き立てられた縁を振り返り心から哀悼したい。

 艶福はマスコミの格好の餌食だろう。夕刊紙でもその一端を読んだ。或る女優との経緯も知る人ぞ知るであろう。その言動は茶目ナガとからかわれもした。奥様やご家族にとっては修羅の如きものだったろうが、アカショウビンからすれば愛すべき嫉妬も含んだものとして読み楽しんだ。

 ブログには死を覚悟した、マスコミでは〝遺書〟と報じられた文章の一つも書かれていて読んだ。しかしそれは何年か先のものと思った。ところが病状は相当に悪化していたようだ。新聞で読んだ、病床に兄たちを呼び寄せ話した様子は死を覚悟してのものと思われる。将棋指しらしく、死ぬ時を「投了」の時と譬えていたのが米長(敬称は略させて頂く)らしかった。

 将棋好きの友人に電話したら、しかし世間では米長なんて知らない人が殆どだからな、と語った。それはそうかも知れない。しかし将棋界の顔としてマスコミには相当に露出してきた人物だ。新聞での扱いもそれなりのものとして読んだ。政治的発言には強い違和感をもった。艶福の漏れ聞くところからすると女性からは好悪が分かれるところだろう。しかし一人の将棋指しとして、勝負師として愛すべき人物だった。将棋ファンとしては著作や棋譜で生き様と仕事の内容を辿ることができる。突然の訃報を心から悼む。

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