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2012年12月15日 (土)

歌手烈伝

 先日、東京・ブルーノートで、八代亜紀のライブがあったことをネットや新聞記事で知った。「舟歌」は、かつてアカショウビンのカラオケの定番だった。学生の頃に中野の三畳の下宿で聴き、心に沁みた。後に「駅STATION」(1981年 降旗康男監督)で高倉健と倍賞智恵子が飲み屋で唄うシーンに使われているのが好かった。八代のジャズを聴き逃したのは痛恨の極み。CDでなく、もう一度どこかのクラブでライブが聴きたいものだ。

 優れた女優が多くのファンによって醸成されるように、歌手もまた多くのファンによって生み出される。美空ひばり、然り。かつてアカショウビンは女優烈伝、歌手烈伝を思い立ったことがあった。「キス・ミー・ケイト」のアン・ミラーや、フレッド・アステア、ジーン・ケリーのミュージカル・スターの歌や踊りに圧倒されたことによる。その歌や踊りは何とも見事で楽しい映像と声だった。

 女優はさておき、同時代を生きている歌手で思い立つのは中島みゆき、井上陽水、八代亜紀、ちあきなおみ、だ。本日のテレビで八代亜紀を特集しているのをたまたま見た。クラブ、キャバレー歌手として全国をトランク一つで歌い継いだ逸話や映画に出演して多くの人々の支持を得た、という逸話は美談とも神話の如きものだ。しかし、その声から滲み出て発散する何物かは或る普遍的とも邪推される存在の声と言ってもよい。そのような高みと境地に達した人が存在する。それは越境といってよい人と姿と声である。アカショウビンが幾人かの人々に看取する、その何物かは思索者が説く「存在」が伝える何物かである。

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