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2012年11月20日 (火)

鮮やかな対比

 『三島由紀夫の日蝕』(新潮社 1991年 3月10日)で表題の論考は1990年(平成2年)、新潮12月号に掲載された。石原慎太郎氏によれば、20年という時間が経過して、「作品がただ作品として読まれ得る、文学作品にとって当たり前の、しかし三島氏の作品たちにとっては幸せともいえる状況がようやく到来したということに違いない」ということになる。三島文学が正当に理解されるためには20年という時間が必要だったというわけである。それもこれもあの死に至る奇矯と揶揄もされた晩年の行動が記憶の彼方に去った頃にようやく、作品群が文学作品として若い人たちに読まれるようになった状況を新潮社の編集者たちが、友人として後輩として三島と親しかった石原氏に一文を依頼したのかもしれない。

 この表題の論考と三つの対談を一読して当時の多くの読者が感じたであろう晩年の言動と論考への違和感から多くの識者に奇矯と冷笑された三島への愛憎が赤裸々に書かれていることに、あの事件が齎した驚愕と不可解に未だに囚われているアカショウビンには真相に近づく論考として興味深かったのである。それは先にも書いたようにアカショウビンは政治家としても小説家としてもこの人には殆ど評価するほどの関心がなかったにも係らず、この書物に収められている論考と対談は一人の小説家の45年の生涯の何たるかを明らかにする一書として水先案内の役割を果たす一書だと思うからだ。

 この書には一人の「天才」作家への石原氏のアンビバレントが赤裸に現れている。多少の時期を違えて世に出た若い作家として石原氏は自分を評価してくれた先輩作家を敬愛し同業者として当時の文壇で作品を書き一人の〝異邦人〟として生息していた。この論考と3つの対談を読めば文学的素養、論理的思考は月とスッポンの違いがある。三島の石原氏評価は、その格差と距離への三島独自の直感によるものと思われる。自分より少し年下の背が高くスポーツマンの、世間からもて囃される兄弟の何たるかを三島は戦後を苦々しく生きる者として、その本質を一瞬の内に見抜いたのかもしれない。三島の天才というのは、作家としてのそれよりもその直感の鋭さにあるとアカショウビンには思われる。その天才性への石原氏の嫉妬と敬愛が、この論考と3つの対談には溢れている。それは見方によれば証文の出し遅れとして不当であるだろうし、或る見方からすれば畸人としても評価されるべき人物として実に興味深いのである。

 所収の、昭和44年の最後の「月刊ペン」誌上での対談では自裁に至る三島の奇矯というより覚悟が読み取られる。対談の主題は「守るべきものの価値」である。石原氏は〝自由〟と言い、三島は天皇に象徴される日本文化の粋である。この鮮やかな対比と構造は現在まで政治状況と此の国の文化状況に受け継がれ、三島の石原氏とは隔絶した学問的教養と文学的直感は石原氏が書くように20年という時間を要したと思われる。三島の早死にと石原氏の現在の言説は二人の小説家が辿る鮮やかな対比としてアカショウビンには実に興味深いのである。

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