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2012年11月 1日 (木)

我々が放り込まれている世界の現在と将来・未来

 先日、昨年の1月に32歳の若さで亡くなった、社の同僚だった女性の納骨に参加させて頂いた。お母さんの父親の立派な墓だった。様々な事情があったのだろう。一年以上お母さんは娘の骨と同居していたことになる。アカショウビンとて同じだった。大阪で逝った母親の納骨を都下で済ませられたのは一年以上たった昨年だった。他の動物はしらないが、ヒトという生き物は死を覚悟する生き物であり、そこから今のところ此の惑星で生き長らえている生物だ。半世紀以上生きて肉体の衰えと物忘れなどで脳細胞の衰滅を意識すると若い頃とは異なる様々な事情が生じてくる。老いとは衰弱であるが貯えた経験を智慧を駆使して生き残る工夫でもある。それが病のために不可能になる事態も生ずる。現在の医療と生涯年数から見れば32歳の生涯は短い。しかし、死を覚悟する生き物という生き物であるヒトが他の動植物と異なる生き物とするなら、何らかの充実と達成感がそこに有る可能性もあるのではないかとも推察される。それは、また改めて思索・考察してみよう。

 とりあえず、現在の我々が生きている世界がどういう現状なのかを世相と現実から愚考を継続すると以下の問題は無視できない。少し縁ある方のブログからの無断転載であることをお断りする。(以下、引用と引用者のコメントに★でアカショウビンのコメントを述べる。

 >福島の原発事故が起きる12年前の1989年2月、吉本隆明は「試行」において原発問題について4つの層で検討している。

 1つ目jは「安全性の層」。
 吉本は技術者が技術者として議論している大前研一の『加算混合の発想』を引く形で安全性についてコメントしている。

 おれは少しも原発促進派ではない。だが原発を廃棄せよと主張するような根拠はどこにもない。ソ連原発事故のようなものは確率論的にはあと半世紀は起らない。半世紀も人命にかかわる事故が起こらない装置などほかにないし、航空機や乗用車事故よりも危険が多いとも思わない。大衆や婦女子の恐怖心に訴えるソフト・テロなど粉砕すべきだし、改廃を論議し市民の運動としたいなら大衆の理性と知性に訴えられなければ、そんなもの反動にすぎないのだ。

  >そしてこう結論している。

 (1)の安全性について賛否をいえば、おれなら反原発運動に反対、原発促進にも積極的に同意する根拠と立場をもたない。だからといって原発促進に直ぐに賛成ということにはならない。それは一般大衆の場所と政府や原子力公団の場所との距離の遠さを無視することになるからだ。

  >2つ目は「地域・経済・利害的な層」。これは工事を請け負った土建業、公団の利益と地域住民の危険感とを照らして、「おれならば、『反原発』ないし『地域管理原発』を主張したいのはこの問題の層だけだ」としている。

 >3つ目は「科学技術的な層」。これについては、「原発の科学技術的な安全性の課題を解決するのもまた科学技術だ」ということから、「おれは科学技術的な層の問題として原子力発電(所)が存在することに賛成だ」とする。

 >4つ目は、「文明史的な層」。文明史の到達点としての原発を否定するのは、いいかえれば焼石や水片マサツ、風車や水車から蒸気機関というようなエネルギー獲得の手段として原子力発電(所)をみたばあい、これに反対するのは人類の文明史にたいする蒙昧と反動だ」として、「疑問の余地はない」としている。

  ★このような言説にも近著で吉本を揶揄した辺見 庸は「横丁の物知り爺さん」的論説を読み込むのだろうか?それはともかく、人類が背負う文明史的射程の根拠を吉本は問うている。それにどう回答するのかを我々は問われているのだ。それは耄碌爺さんの戯言ではない。

 >3つ目は「科学技術的な層」。これについては、「原発の科学技術的な安全性の課題を解決するのもまた科学技術だ」ということから、「おれは科学技術的な層の問題として原子力発電(所)が存在することに賛成だ」とする。

 ★この「科学技術的な層」の行く末と現在の判断が問われている。それは西洋近代の知の行方が問われていることでもある。

 >4つ目は、「文明史的な層」。文明史の到達点としての原発を否定するのは、いいかえれば焼石や水片マサツ、風車や水車から蒸気機関というようなエネルギー獲得の手段として原子力発電(所)をみたばあい、これに反対するのは人類の文明史にたいする蒙昧と反動だ」として、「疑問の余地はない」としている。

 ★「反動」というのが政治的言説を介して事の本質を表現しようとする吉本らしいところだ。しかし、それはハイデガーが戦後に再登場して以来の言説・論説を再考しなければ此の惑星で生じている事の本質に達することはできないとアカショウビンは考える。それは大風呂敷を広げているように思われるかもしれない。しかし、それはそうでもない。更に愚考を巡らし言葉を費やしたい。

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