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2012年11月28日 (水)

不満の残った映画作品

 N君から頂いたチケットで昨日、楽しみにしていた「北のカナリアたち」(2012年 阪本順治監督)を観てきた。平日の最後の上映は劇場の約5~6分の1というくらいのお客の入り。吉永小百合さんの主演というので小生も興味があった。最近の吉永さんのお姿は駅のポスターで散見させて頂いている。禅寺で瞑想されているお姿は天女か観音かという風情にいたく感銘。贔屓の監督の作品でのお姿を楽しみにしたのだった。

 しかし何か腑に落ちない。配給会社創立60周年の鳴り物入りの作品である。しかし、そんなことは作品の仕上がりには恐らく資金の問題でしかない。小生のような映画ファンにとって最重要なのは作品の仕上がりだけである。関心のある監督と女優の現在を知る好奇心は如何ともし難い。

  この作品は阪本版「二十四の瞳」(1954年 木下恵介監督)というところだろうか。女教師と教え子たちの姿は、そんな思いにも浸った。監督もそれは意識していただろう。キャメラは実に美しい。北海道の自然を見事に活写している。その中で生きる人間は何ともちっぽけなものだというような通俗的な言葉も思い起こされる。

 それはともかく、物語は謎解きのような構成で展開する。原作は人気作家のものらしい。忖度するに監督はそこに映像化を試みたい直感を看取したのだろう。配給会社も吉永小百合という女優の現在を有能な監督に撮らせてみたいという商業主義の魂胆がチラホラしたであろう。阪本監督にしろ、仕事としてそれはやってみる好奇心くらいはあっただろう。アカショウビンは前作の「大鹿村騒動記」には名作の仕上がりを感得した。それだけに楽しみにした。しかし脇の甘い大作という感想だった。

 それは原作にあるかどうか知らないが、エピソードの詰め込み過ぎと何のリアリティも感じられない主人公と愛人の恋愛譚の挿入に何ともガッカリしたからだ。男優陣は実につまらない。阪本組の常連の石橋蓮司も刺身のツマほどの扱いで不満だ。この名脇役をどう生かすかは作品の軽重を左右するくらいは監督もわかっている筈だ。ところが何とも陳腐な扱いになってしまった。しかし若手の演技派といってもよい女優達は好演している。途中まで観て、これは阪本監督の最高傑作なのではないか、と感服し最後で唖然とした「闇の中の子供たち」の破綻はなく、最後まで手堅くまとめた、とはいえる。アカショウビンも2ヶ所のシーンで思わず落涙したことを白状する。しかし、期待した作品として満腔の賛同は出来かねる仕上がりとして不満だった。

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