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2012年11月25日 (日)

三島文学の現在

 先の石原慎太郎氏の三島論に欠けているのは作品論である。仏教の輪廻転生説に裏打ちされた「豊饒の海」全4巻の終巻「天人五衰」は当時の国語学者から文体が死んでいると揶揄もされた。しかし全4巻は実に面白い物語として読んだ。あれから42年という時が経過し現在どのように評価されているか詳らかにしない。

 三島は本気で選挙に立候補しようと画策していたと石原氏は明かす。しかし三島由紀夫という小説家の場合、世間が見る本気は仮面の姿でもある。剣道にしろボクシングにしろ三島の運動神経の鈍さを石原氏は嗤う。深沢七郎氏の「あの人はお坊ちゃんだった」という揶揄も援用する。しかし4巻の長篇の中に考え抜いた世界を一人の人間として三島由紀夫という小説家は起承転結をつけた。その努力と熱中は異様として滑稽として世間には見えたとしても、左翼の論客たちが揶揄したように果たして多くの人々を白けさせただけであろうか。

 石原氏の三島論はドナルド・キーン氏の感想も引いて〝思想書〟としての「太陽と鉄」を論い、小説や戯曲の作品論に及ばない。それはまた政治の世界に埋没した小説家として場を弁えたとも思える。アカショウビンには42年の経過であまた世に出た小説の中で「豊饒の海」4巻の評価が興味あるところだが、若い読者にはどのように位置づけられているのだろうか。

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