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2012年10月 8日 (月)

九相図

 明け方のラジオで或る美術家のインタビューを聞くともなく聞いていた。声から誠実さが滲み出るようで、どういう人なのか興味が湧いた。インタビューの最後の辺りで自らの死に方について話され、「鎌倉時代の九相図のように」と述べられていた。そこで今年、横浜の美術館で見た松井冬子(以下、敬称は略させて頂く)の作品を想起した。禍々しいと忌避されることも多い松井の作品の中で幽霊画と共に死体を介して死は松井の作画の強い衝動となっている。この美術家も恐らく松井の作品を知っていると思われた。岐阜県の山奥のアトリエで創作されておられるようで、孤独についても語られていた。松井展の解説を読むと「九相図」は鎌倉時代以降、幕末の河鍋暁斎に至るまで多数の作例が残る、とされている。松井の「九相図」は2011年に新たに3作品が加わわり松井は「死相図が九つ揃うことで最終的な完結となる六道絵」と位置づけている。

 松井の絵を忌避する人々の感性の底にあるのは、死を不浄とする多くの日本人に通底するものと思われる。死は不浄だろうか、という問いは日本人という民族の何たるかを明かすようにも思える。鎌倉時代の仏教者は修行の過程で「九相図」を凝視し無常観と共に死を考え悟りの境地へ至る一縷の道程を探ったのだろう。

 日本史の中で鎌倉時代に続く戦乱の後の戦国時代から徳川幕府の家光に至る時代を生きた沢庵宗彭は、乞食の生を望みながら権力と仏法の狭間に悩み生涯を終えた。臨終にあたって周囲から求められて夢という文字を書き筆を投げて死んだ、と水上 勉は『沢庵』で書いている。

 沢庵の遺戒の言葉は次の如し。

 私の身を火葬にしてはならぬ。夜半ひそかに担ぎ出し、野外に深く地を掘って埋め、芝をもって蔽え。塚の形を造ってはならぬ。探しだすことができぬようにするためだ。身のまわりを世話してくれた、二、三名も二度とその場所に詣でてはならぬ。(p309)

 これが仏者の望む死に方である。地中で肉体は「九相図」の過程で朽ち果てることを沢庵は思い描き遺戒としたのであろう。アカショウビンの生死も斯くありたい。願わくば戦艦大和が轟沈した東シナ海に散骨して魚に食われたい、と友人たちには告げている。そのためには沢庵とは違い火葬にしなければならないのだが国法ではそうなっている。アカショウビンは仏教徒の端くれだが沢庵の宗旨とは異なる。火葬でも宜しい。其の後は先祖の墓の近くと東シナ海に撒いて欲しいと切に願う。

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