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2012年10月24日 (水)

反骨とは?

 骸骨でも外骨でもなく反骨である。本日の毎日新聞夕刊に先週亡くなった若松孝二監督の追悼文が掲載されている。監督の友人という足立正夫氏のものだ。タイトルは「がむしゃらな反骨魂」。書き出しは「遂に若松監督が、交通事故で、突然逝った」。奇妙な文ではないか?遂に、という語が変だ。何か落ち着かない。遂に~突然という呼応が奇妙に感じられるのだ。それは足立氏の心の狼狽を表しているのかも知れない。見出しの「反骨魂」というのも、冗長さを感じる。普通は反骨精神」だろう。足立氏は精神という、考えようによっては曖昧にも受け取られる術語より、魂という何やら日本人好みの言葉を使わなけれ若松孝二という男の生き様の何たるかを示し得ないと思われたのかもしれない。氏は若い時に若松監督から指名され監督の仕事を手伝ってきたらしい。ピンク映画時代以降の監督の弟分のような人なのだろう。残念ながら作品を観たことはない。若松監督に関しては『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』にガッカリした。その前の2作で久しぶりに若松孝二の名前を想い出し観て刺激されたのだ。連合赤軍と先の大戦に対する監督の拘りぶりに共感した。期待が大きすぎたのだろう。来年公開予定という遺作に期待したい。

 足立氏の追悼文の「がむしゃらな」という形容が若松孝二という男の生きかたをよく表しているように思う。そこで言う反骨という語を介して、その語の指す中身が気になるのである。この日本国に反骨という語に見合う生きかたを体現している人は何処にいるのだろう?アカショウビンの知る限りで、それに近いのは辺見 庸氏(以下、敬称は略させて頂く)くらいだ。しかし通信社時代から小説家と転進しながら今や氏は詩人である。氏のこの10年の人生は反骨という語では捉えきれない変容を遂げている。病を患い治療しながらの執筆は大変であろう。この数年は、ほぼ年に1作というペースだ。近著は『明日なき今日 眩く視界の中で』(毎日新聞社)。一読して、今年5月10日付けで『沖縄タイムズ』に掲載されたという「沖縄ー歴史と身体の深みから―」と題されたインタビューが面白い。1960年代の吉本隆明の沖縄論を踏まえた辺見の視線が明らかにする沖縄と沖縄の人々の現在が抉られている。

 それはともかく、歌い手の声と楽器で「反骨」を体現していると思えるのが我が故郷の唄者、里 国隆である。『路傍の芸』というアルバムは1982年11月17日、那覇市の平和通りの路上で録音されたものだ。その声は叫びであり咆哮だ。今の奄美の若い歌い手たちの洗練はない。しかし、そこには盲目の唄者の苦悩と魂の震えが強烈に響く。ここには反骨という語の外に跳び出す生の飛躍とでも云う声がある。

 辺見は故郷、石巻が津波で根こそぎ浚われた風景を見て思索する。そこでこの国の破滅を予兆するのである。今や詩人は予言者の趣を醸しだしている。友人の死刑囚との経緯も此の著作で確認できる。辺見の眼には腐れきった日本国が憤りと共に浮かび上っているのだ。それは先の大戦の後に武田泰淳が拵えた「巨大な海綿のようなもの」というイメージが明滅している。商業主義に塗れたテレビ映像とイアフォンに聴きいり携帯機器でゲームやメールに忘我している呆けたような若い男や女の顔や姿を見ていると然もありなん、と諦念と怒りが沸々と全身に満ちてくる。すると、人は須らく反骨こそが娑婆を生き抜く力となることを自覚するのである。

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