« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »

2012年9月21日 (金)

今生の苦楽

先日、高校の同窓生T山君が絵の個展を開催するというので出かけた。この数年、彼の作品は飲み会の折に拝見していた。すべて鉛筆画である。対象は猫や兎、人物であったり生き物が多い。

3年前の5月、T山君は大手術をした。自らの病ではない。ご子息の病のためである。若年性の肝臓疾患で移植をしなければ二十歳まで生きられないと医師に宣告された。しかし肝臓提供者の順番を待てば数年先になり子の命は永らえない。彼は人生の正念場に立たされたことだろう。そこで一つの解決策が親子での肝移植である。検査に1年近くを要したと聞いた。そして大手術は成功したと長文の手紙を戴いた。それは父親の愛情と親子の心情が綴られた心打たれる文章だった。アカショウビンは末期ガンの母親と暮しながらの最中で老いと病の苛酷さを痛感していた。それだけにT山君親子の情愛の深さが慮られた。

18日は母の命日。大腸ガンの手術から1年半の闘病生活だった。最後の5ヶ月を共に過ごした。親不孝のツケの幾らかも返せないうちに逝った。千葉に棲んでいた叔父が夫婦で大阪に立ち寄り母を生まれ故郷の島根県の出石へ行く旅行に誘ったらしい。しかし母は行かないと叔父夫婦に話したという。出石は沢庵禅師の故郷である。子供の頃に母から雪の多い土地柄だったと聞いた。そこから巡査だった祖父の転勤か転職で南島の徳之島へ移住したのだ。祖父は印刷業に転業。生活は楽ではなかった、と子供の頃によく母から聞かされた。17歳の時に祖父の眼の手術で、徳之島から奄美大島の名瀬に向かう途中の船が米軍機に攻撃された。その経緯はかつて書いた。船上は「屠殺」のようだった、と顔を顰めた。母も祖父も九死に一生を得たわけである。その状況は、みず知らずの方から当時の情報も戴いた。

父の事業の失敗で大阪に移住したのは、アカショウビンが社会人になって間もない頃だった。両親や弟にとって屈辱の日々だったろう。父は再起を図ったが成らなかった。最期は京都の病院で迎えた。現在の会社に職を得て4年目だった。朝一番の新幹線で出向いた。葬儀は奄美で盛大に執り行われた。母が泣いた姿を初めて見た。気丈な女だった。奄美に立つ時に母から父の浮気の現場を押さえた話は従兄姉からも聞いた。それは哀しみを超えて親戚たちの笑い話になっている語り草である。母はそれから一人で大阪に棲み続け老いを生き抜いた。手厚い治療も受けた。屈強の信仰者だった母の死は見事なものだった。朝の9時。息を引き取った。親孝行の幾らかも出来なかったことを後悔する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 9日 (日)

縁とは?

 日帰りで関西へお通夜に。午前中、目黒で仕事を済ませ昼過ぎに品川から新幹線に乗り午後3時6分新大阪着。弟のマンションに立ち寄るつもりだった。ところが間に合いそうもないので直行する。梅田で阪急に乗り換える。大阪駅が様変わりしている。大阪に棲んでいた時は工事中だった伊勢丹が完成し駅も実に広々とした空間が出現していた。2年ぶりの梅田から宝塚行きの特急に乗る。「清荒神」駅から鉄斎美術館に行くため乗ったことを懐かしく想い出した。

 故人と最後にお会いしたのは7~8年前になるか。大阪で会議があった時に久しぶりにお会いした。その後、会社を退かれ、悠々自適の老後と推察していた。会社を辞めるときに挨拶すべきだったが失礼した。元の会社に復職し会う機会があるだろうと思っていた矢先の訃報だった。成人したお孫さんたちとも会えた。前社長ともお会いした。最近は囲碁を楽しんでいると言う。悠々自適ですね、と言うと、そうでもないが、と応えたが昔と変わらぬ飄々とした風情に会えたことが幸いだった。お通夜からトンボ帰りで新幹線に。或る縁から携帯した文庫本は水上勉の『沢庵』(1986年)。1997年、文庫になったものを再読している。若い頃にアカショウビンが親しんだ沢庵は吉川英治の『宮本武蔵』と内田吐夢監督の同作で三國連太郎さんが演じた沢庵だった。しかし寺の小僧だった水上勉が長じて書いた『沢庵』は史実を辿り、この〝清貧〟の禅僧の実像に迫る。

 故人は腹部の大動脈瘤破裂で直ぐに入院、5時間余の手術だったようだ。夕方の6時に倒れ翌朝9時過ぎに亡くなったと聞いた。享年82歳。アカショウビンの母は1年半の闘病の末の死だった。それは経済的に困窮していたとはいえ親子で覚悟の時がもてた。或る人の言葉を借りれば「戦士の死」だった。父の盛大な葬儀とは異なり質素な内輪だけの葬儀しか出来なかった。それを幾らか後悔はしている。しかし今生での縁の起承転結はつけたつもりだ。本日の故人の場合、遺族はアカショウビンの母の死からすれば覚悟の時間は短かったといえる。しかし、それは長短の問題ではないだろう。奇妙な言い方をすれば、縁が究極する時、とでも言おうか。それは物理学的、生物学的な時間を超えたものと確信する。此の世の縁の何たるかが瞬時に了解される。そこでまたまた繰り返し人間存在の不可思議さに立ち戻り愚考を重ね問いを出し応え、答える。そのような愚想の時を持てた縁に心から感謝し哀悼の意を表する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 4日 (火)

存在の懐かしさ

 朝の音楽番組で若いギタリストの演奏を聴いていると存在の懐かしさとでも言いたい旋律に魅了された。ギターという、それは音を奏でる楽器にすぎないというのが不遜で躊躇われるほど、存在論でいえば道具とも見做せる楽器と人との一体感が見事と言うしかない。演奏者は存在の深淵へ踏み込み到達しようと試行錯誤しているようにも思えた。

 先日はスウェーデンの合唱団の演奏を聴いて同様の感想をもった。此の世に棲む日々に未練があるとすると、そのような経験をさらに重ねることができないことだ、と言うこともできよう。しかしそれは未練などというものではなく、一期一会と言えば済む。

 一期一会とは、何とも人間の経験の本質を言い当てている熟語と思う。私たちは録音で繰り返し音楽や人の語りを聴くことが出来る時代に生きている。それが、人の経験というものに、どのような変化と異質を齎したか、ということは、かつて洋の東西で何度も思索、考察されてきただろう。それぞれに到達した境地があるだろう。人間が生きているということ、思索者が、「人は、世界に投げ込まれている」と洞察したのは、その多様性だ、とも思われる。その多様性の奥深さを味わい尽くすことはできない。しかし一期一会に全てが凝集し現成する時がある。それは仏教でいう悟りであろうか?

 若いギタリストの演奏は、そのような妄想も誘発させた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年9月 3日 (月)

忘れられた音楽家

 昨夜のNHKテレビで吉田隆子という作曲家が特集されていた。戦前に自前のオーケストラも組織し自らの作品を指揮して人気を博したことを伝えていた。ところがプロレタリア運動に賛同し特別高等警察に数度検挙され暴力で取り調べられたのだろう、体調を崩し戦後46歳で亡くなった。夫も左翼活動家で妻の死後2年後に亡くなった。番組では彼女のヴァイオリン・ソナタ二調が演奏された。ピアニストとヴァイオリニストは作曲者の才覚と情熱の迸りを演奏者として評価していた。

 番組は戦前の音楽界での女性差別に抵抗した女性として研究者らを介して構成していた。しかし面白かったのは、日中戦争から対欧米戦へと急傾斜していく世相の中で彼女の指揮する演奏会に多くの聴衆が詰め掛けたという事実である。夫は左翼の戯曲作家で特高から睨まれ妻と同様に検挙され逮捕される。

 そこで垣間見えるのは戦争へ突入していく国家・国民と反戦を掲げ左翼活動に奔走する男女の姿と運動の姿である。特高に殺された小林多喜二の死体も挿入していた。太腿が真っ黒な、それはモノクロームの写真であったから、黒く見えたのは血かもしれない。吉田隆子は幸い体調を戻し夫と戦後まで生き延びた。しかし恐らくアカの音楽家と作家夫婦として冷遇されたのかもしれない。死後は忘れられた音楽家となり作品も演奏される機会がなかったと番組は伝えている。

 女性差別で忘れられた音楽家というテーマだが、そこには一人の女と男の愛と一生が垣間見える。そこが興味深かった。一人の女性が時代に抵抗しオーケストラを作り自らの作品を演奏し西洋音楽に影響された様子に単なる反戦活動家ではなく、女と男が時代の流れに抗する姿に刺激されたのである。

 アカショウビンは左翼でも右翼でもない。思考、思索の場はその間、狭間にしかない、というのが立ち位置である。しかし時に左翼の論説、右翼・保守の論説にも共振する。そこで昨今のシリアや日中・日韓の摩擦に物申したい衝動に駆られるのだ。

 先日、新聞の書評欄に或る言語学者が世相を評して子供のケンカ程度に見ておけばいいのですよ、とコメントした事が紹介されていた。併せて、その学者が世界言語の中での日本語の優秀性について説いていることも伝えていた。そういう境地は更に考察すべきであろう。特に都知事の言動にアカショウビンはガキ大将の児戯のような幼児性を看取する。その淵源を辿れば若き頃に青嵐会という集団を組織し自民党内改革を標榜し、現在の橋下氏のような政治的言動に傾斜していった姿を想い出すのである。その頃にべ平連を主宰していた小田 実との対談を想い起こす。そこで石原は歴史や現実を鳥瞰しなければならないと述べ、小田はオレは虫瞰だと切り替えしていたのが面白かったのである。アカショウビンは当時も今も小田に同調する。石原嫌いには動機があるのである。

 話が逸れた。吉田隆子という音楽家の46年の生涯を辿った番組を見てアレコレと愚想を巡らした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年8月 | トップページ | 2012年10月 »