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2012年8月 7日 (火)

労働とは何か

 出張で先々月から先月は長野県を、昨日から一泊で新潟県内をレンタカーで駆け回り、殊勝にも仕事や労働について少し考えた。読みさしの本のせいもある。

リセ(中学校)の哲学教師だったシモーヌ・ヴェーユが工場に入り一人の女工として働き、その現状を伝えたのは1930年代で、それが広く知られたのは戦後になってからである。彼女は任地の労働組合と接触しながら、そこを通じて工場に入った。その後、スペイン市民兵となり、戦時中カサブランカからニュー・ヨークへ渡り、最後にロンドンへ赴き、その間に哲学的文章を書き、1943年8月24日、英国はケントのアシュフォード療養所で、死んだ。工場日記や書簡を出版社が『労働の条件』というタイトルで発刊しフランスで話題になり広く読まれるようになったのは戦後大分経ってからである、と加藤周一が「新しい人間という問題」(『現代ヨーロッパの精神』2010916日 岩波書店 岩波現代文庫)という論考で紹介したのは1956年である。

加藤周一は「シモーヌ・ヴェーユは、なぜ工場へ入ったか。」と問いかけ(同書p93)、「その答えは、1934年、工場で仕事をはじめてから、『ある女生徒への手紙』のなかに、すでに与えられているように思われる」と書いている。

加藤は次のように続ける。

必ずしも彼女が、そこで自分自身の仕事の意味を説明しているからばかりでなく、女生徒がそこで身上相談をしかけ、「感覚」の問題に触れ、「愛」の問題を提出して、彼女がそれに答えているからである。論理的な順序からいえば、「感覚」の問題が第一、その次が「愛」の問題、最後に「労働」の問題が来るといえるだろう。

そのようなことで何もシモーヌ・ヴェーユや加藤の論考の感想を書きたいわけではない。アカショウビンも短い間だったが長年務めた会社を辞めしばらく大阪でアルバイトをしながら食いつないでいたから「労働」について少しは考えたからだ。工場の単純作業は学生時代に少し経験した。しかし中高年になり時給で働く仕事は楽ではない。現在の仕事も戦後には〝下層セールスマン〟と蔑まれた仕事であるが、工場労働や葬儀会館の夜間勤務、路上警備などよりはマシだ。工場労働はともかく、夜間警備や路上警備の仕事は創造的で生産的な仕事ではない。工場の単純作業も心身を消耗する時間の切り売り労働であろう。

加藤はシモーヌ・ヴェーユの書いたものを読み、「大学では、ものを考えるか、少なくとも考えているように見せることによって収入が多くなるのだが、工場では逆にものを考えないことによって収入が多くなる」と書いている。

さらに次のように書く。

結論から先に言えば、「とにかく生きてゆけるかぎり、生活の物質条件だけが、不幸の原因ではない」という短い一言に、彼女の体験と観察の全体は要約されるだろうと思われる。人を幸福にするのも、不幸にするのも、「生活の条件に結びついた感情だ」と彼女はいう。ただしその感情は、気のもち様でどうにでもなるようなものではなく、生活の条件が変わらぬかぎり変り様のないものである。(同書p98

1930年代のフランスと現在は異なる。しかし日本でも他の国でも労働の現場というのはシモーヌ・ヴェーユが伝えた労働現場と本質的なところでは近似しているのではないか?「女工哀史」はそれを伝えているし、戦後日本の労働現場のレポートも数多くあるはずだ。ある種の仕事に見られる〝労働の悲しさ〟ということについて少し考えてみたいとおもう。

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