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2012年5月 7日 (月)

宗教論争

 吉本隆明(以下、敬称は略させて頂く)が亡くなり、氏の著作や対談集を読み直している。アカショウビンは若い頃から吉本には親炙しているが熱烈な信奉者というわけでもない。60年安保の頃から吉本に関しては賛否両論が喋々されてきたが、アカショウビンからすれば戦前・戦中・戦後を経験した父親の世代の中では実に啓発的で、文学青年には無視できない存在だった。詩人として、文芸批評家として、思想家として、実に鋭く大柄な人として後世にも記憶されることは間違いないと思う。亡くなってアレコレ読み散らしているが『宗教論争』(小沢書店 1998年)は1971年から1996年まで断続的に行われた吉本と小川国夫の対談をまとめたものだ。それは親鸞に依拠する吉本とカトリック信仰者としての小川の「論争」だが、お互いに相手を理解しながら仏教とキリスト教の何たるかが浮き彫りにされた内容である。最後の1996年の対談はオーム真理教と麻原彰晃についても論じられている。マスコミがこぞってオーム、麻原批判に染まっていた時の吉本の麻原評価は出色だった。また、以下に引用させて頂く、夕刊紙での五木寛之のコメントは興味深かった。

 オウムは原始仏教、大乗(マハーヤーナ)、金剛乗(ヴァジラヤーナ)の三層から成る。定方晟(あきら)氏によるとオウムは智慧を代表する般若心経と慈悲を代表する法華経に興味を示さない。この両者はともに修行を重視しない点において共通しており、むしろ信を重視する。修行にかかわる経典だけに異常な関心を示した。たぶん超能力こそが彼らの仏教に求めたものではなかったのか。般若心経はそのような力への依存を否定する。法華経は衆生への愛を説く。(1995年10月17日 日刊ゲンダイ 五木寛之「流される日々」 4093回 故村井秀夫、東山に睡る⑦)

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