« 宗教論争 | トップページ | 出張日記 »

2012年5月12日 (土)

宗教論争(続)

 吉本隆明(以下、敬称は略させて頂く)と小川国夫の対談が初めて文芸書に出たのは「文藝」1971年10月号である。タイトルは<家・隣人・故郷>。次は1974年11月号の「野生時代」に、<宗教と幻想>というタイトルで。翌1975年には「伝統と現代」11月号に<生死・浄土・終末>、のタイトルで行われている。それからしばらく間が空き、1988年に<新共同訳聖書を読む>のタイトルで「新潮」2月号に掲載された。最後の対談は1996年2月号に<宗教論争>のタイトルで「文學界」に。このタイトルが小沢書店の両氏の対談集のタイトルとして使われているわけだ。

 そこに共通しているテーマは大きく括ると、キリスト教と仏教とはどういう宗教なのか、ということを小川は信仰者として、吉本は親鸞を読み解くなかで無神論者というより唯物論者として互いは語り合っている。小川より吉本への関心の中で両者の対談をアカショウビンは久しぶりに実に興味深く読み直した。その中でも最後の対談がオウム真理教(当時)に言及する中で鋭く対立しているところが「宗教論争」というタイトルになったのであろう。しかしながら20数年にわたって継続された両者の対談が決裂に至るわけでもなくオウムや麻原を介して立場と論点が改めて鋭く浮かび上ってきたということになる。

 それは最後の対談の中で小川がドストエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフの「ナポレオンは百万人を殺して英雄なのに、僕が、金貸しのお婆さんとその姪を殺すのは何故いけないんだ」という疑いに捉えられる箇所を引用しているように、「文学にとっては永遠のテーマといってもいい」と小川は語る。二人はまるで「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャとイワンのように、あるいは「悪霊」のキリーロフとスタブローギンのような立場で対話を演じているようにも思えたのは錯覚だろうか。吉本は、「文学だからこそ、現実よりも悪を包括できるということはありますね」と応える。左翼文学の影響から考えはじめた、と明かす吉本が文学作品の評価の仕方として、「なるべく最大限に、善も悪も包括できているかというところにある」という言葉は文芸批評家として、あるいは思想家としてオウムや麻原を見る凡百の駄言の浅薄と狭さと吉本の視角と視線が届く広さの懸隔を明かして余りある。それは新約や旧約の聖書読解を通じて或いは親鸞の思想・思索を辿ることで獲得したものと思われる。

 これに応えて小川はフォークナーの「八月の光」の最後の殺人シーンを挙げて主人公を介して著者が米国南部のピューリタンによる偽善的な社会に主人公が「楔を打ち込んでいるようにも読める」と語る。それはキリスト教社会の偽善というものをフォークナーが作品で描いた米国という国家の現実を介して想起させる複雑さと仏教哲学で言えば業の深さとでもいうものである。その結末は「ミシシッピー・バーニング」(1988年 アラン・パーカー監督)という映画で強烈に描かれているキリスト教社会が主導する他民族国家としての米国社会が負い続ける癒し難い深い傷のようなものとして想起する。

 小川は当時のオウムに対する「一致した反対は、残念ながらK・K・K(クー・クラックス・クラン)に似ていますね」と話している。

 現在まで続く中東の紛争による無残な殺し合いは宗教を介した民族対立の酷薄さを映像で生々しく伝える。吉本・小川対談は、その根深さにも思い至る。救いは恐らく宗派、教団を超えたところにあるだろう。その世界はアカショウビンが生きている間には訪れないだろうが未だ日本は殺し合いがないぶんだけ幸せで暢気だ。終末はいずれ来るだろう。しかし些かの抵抗と思考は継続しなければならない。

|

« 宗教論争 | トップページ | 出張日記 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/54689556

この記事へのトラックバック一覧です: 宗教論争(続):

« 宗教論争 | トップページ | 出張日記 »