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2012年5月 5日 (土)

陶酔と熱狂、未熟と成熟

 先日買ってきて観ていなかったDVDを、ラジオから流れるボーイ・ソプラノの唱歌で目覚めた後に観た。「甍の波と雲の波~」と歌われる幾らかの文語の歌詞の全てを少年は理解していたわけでもなかろう。アレコレ愚考を巡らし、ザ・ローリング・ストーンズの1969 年の全米コンサートを記録した「ギミー・シェルター」を衝動的に観る。今や初老に差し掛かり往年のエネルギーを発散する彼らの映像を観たのは数年前、六本木の劇場だった。

 1969年の映像と音は若きミックが歌いまくり腰を振り、歌唱と絶叫の間を動き回る。DVDは4人の死者も出したオルタモント・コンサートの様子を編集するプロセスを更に編集している。1969年、その映像を43年後に観聴く。アカショウビンの生は既に老いの兆候から死を自覚する時に差し掛かっている。1969年、東京オリンピックの5年後だ。思春期の未熟は将来の希望と不安に揺れていた。ストーンズを聴いたのは中学3年の時だ。ラジオから流れる「ルビー チューズデイ」が、田舎の中学生には何とも異国の音楽と、大袈裟に言えば、形而上学的に<世界>と論じられる概念への通路を開く、と説明してもよい興味を掻き立て新鮮に響いた。思春期は音楽に飢え衝動的に反応する。友人のI君はPPMのドーナツ盤を買い、そのジャケット写真のマリー・トラヴァースの胸の谷間に魅入っていた。今や成人した二人の娘の父親のI君の中学時代の姿が眼に浮かぶ。懐かしい思い出だ。

 アカショウビンは高校にあがり友人たちとも離れた。時代は沸騰していた。大学と警察の闘争がテレビ映像で流された時から数年。その闘争は小説家が自衛隊に突入し驚愕する死を遂げたことで意外な展開を迎えた。思春期は混乱と錯綜の世相の渦中で坩堝の水の沸騰のように過ぎていった。入学した首都の大学は大学闘争の名残りはあったが既に白けた気分が支配し始めていた。将来はどのように切り開けばよいのか?それは、いつの時代にもある懊悩と試行錯誤だろう。

 それから43年後、1969年の異国の映像を観る。アジアでドロ沼の戦争の嵌まり込む国家の若者たちはヤク中、アル中の陶酔と熱狂のなかでストーンズのステージに熱狂する。4人が死に出産もあった。戦場でない土地で熱狂、喧騒する姿は、ベトナムの地獄からすれば児戯のようなものだ。それは未熟と無関心の間で常に揺れ動く<世界>の現実を写し取っている。

 ミック・ジャガーの若き姿が歌い飛び跳ねる。会場は熱狂し騒乱する。演奏は中止され、その映像をスタジオでメンバーが自分たちと会場の情景を見直す。映像と中断した演奏は編集される。娘や長髪の男たちの狂騒の中でミックの声が響き渡る。1969年の米国オルタモント。そのバンドが老いに至り未だ健在であることを知ったのは数年前の首都の劇場だった。それは彼らとアカショウビンの生の不可思議な交錯である。

 若きストーンズとアカショウビンの未熟は成熟に至ったのか?1969年の映像と2012年の現在は、どのように関係しているのか?やがて来る彼らの死とアカショウビンの死が全て終結と未済として残されるだけなのか?

 それでも、異国の歌とギターとドラムスの響き、は此の世の現在と過去、将来を愚想させる。2012年の現在の無関心と幾らかの喧騒は1969年の陶酔と熱狂と未熟を成熟に導くだろうか?

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