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2012年3月 4日 (日)

ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団

 高峰秀子の「私の渡世日記」を読みながら、「カルメン故郷に帰る」をレンタルDVDで観直したり、同時に借りてきた「紳士は金髪がお好き」のジェーン・ラッセルとマリリン・モンローの歌う声やダンスを比べてみたりしていると、衝動的に劇場でかかっている「Pina/ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」を見たくなり、昨日、劇場で観てきた。何とも、どういう因果関係なのか他所様から見ると行き当たりばったりでワケがわからない行動で恐縮。それはともかく。この20年くらい、雑誌や新聞の批評欄で読んできたピナ・バウシュと彼女が率いるヴッパタール舞踊団の存在は気にかかっていた。そのうち彼女の訃報を知った。DVDなども探したが手に入れることはできなかった。そして昨日、やっとヴィム・ヴェンダース監督がピナの死後に完成させた作品でピナと舞踊団の舞台と団員が回顧する語りと表情と彼らの踊りでピナの舞踊というより舞踏の何たるかの幾らかを納得し刺激、挑発された、というわけである。
 それにしても新聞評などを読んだにも関わらず来日公演に駆けつける機会があったのだから万障繰り合わせて舞台に駆けつけるべきだった。ヴィム・ヴェンダースが生前に完成させられなかった苦心の理由を少しは納得もした。それは生の舞台でなく、映像でピナのダンスや舞踏団の舞台の本質を伝えることの難しさ、というより不可能さ、は監督ならずとも明白であろうと思うからだ。そこで監督は3Dという技術を採用した。その可否はともかく。今や死語なのかもしれない用語を使えば「前衛的」な舞踏をスクリーンを介して見た幸いを少しは発したい。

 ネットで読んだピナの語りを引用させて頂く。

 「ダンスをする前の体ってあるでしょ。ダンスをする前の準備している体。そういうとき、自分の体を温めて、どうしますか。何かを保持したいと思うかしら?脚を伸ばす?指先を撫でる?
 いったい何かを切り抜けるときって何が必要なんでしょうね。福音。手旗信号。輪っか。子守歌。何かいきいきしているもの。人間についての一文。ねえ、みんなが怖いとおもった瞬間に誰かにしがみつくでしょ。誰にしがみつく?恭順。鳥肌が立ったときにするちょっとした運動。親愛。純粋である何か。何か非常に決定的なこと。仕掛け。他人にアウトサイダーとみなされたとき、どう抗弁するの?
 それでは、誰かに罠をかけます。いいこと、誰かに罠をかけるのね。熊がいてみんながその熊を笑わせなければならないとすれば、どうしますか。私を明るい気持ちにしてくれるには、みんなはどうするの?一本の糸でする遊び。思い出せますか。何かの憧れがないとできないわね。
 さあ、痛いって何でしょう。どうやって痛いになれる? 写真のポーズがいるでしょうか。では、その写真。写真って何かしら。音がない。ひげそりの剃刀。荷造り。急いで荷造りしなくちゃならないのね。
 はい、動物が噛みつこうとするときです。呪文?苦しいときの合図は?赤ん坊の動き?2本指のパドドゥ。勇気と関係する何か。では、われわれはリンゴの木の下にいます。計画はもう進まない。慰める。慰める動き。でも、みんなの心の中には計画がある。何かが小さいのね。払いのける?ええ、そうなのよね。では、幕が開くわよ」。

 以上のピナの語りはヴィム・ヴェンダースが映像化することの困難さを伝えている。正直に言えば、その映像を3Dという、観客に眼鏡を用意させて伝える煩瑣を小生は何とも疎ましく感じた。眼鏡を外すと眼鏡を介した画像より明るいボケた映像がある。その面倒くささは、何といったらいいのだろうか、ネットの仮想時空間での言葉の遣り取りのようなものとでも言えようか。それは、「解釈」とも見做せよう。ヴェンダースはピナと舞踊団のダンスを自らの作品で再構成する。それを「解釈」、と取り合えず言おう。そこにヴェンダースは可能と不可能の間で苦悩したと思える
 冒頭でヴェンダースは、彼らのストラヴィンスキーの「春の祭典」のダンスを見せる。「春の祭典」の初演をしたピエール・モントゥーが指揮した1956年(頃)のパリ音楽院管弦楽団の録音を聴きながら端正とも言えるモントゥーの解釈と舞台を想像するとヴェンダースの解釈の隔たりと近さも愚想する。当時、スキャンダルとも称された音楽と舞台の何たるかの一端は納得する。当時のディアギレフのロシア・バレエ団の舞台とストラヴィンスキーの音楽の衝撃性は恐らくピナの振り付けに再現されているようにも思えたからだ。バレーと称される、素人から見れば、お高くとまった芸術やクラシックと称される音楽の近寄り難いような特権的も言える音楽の小難しい「芸術」の不可解さ、を突き崩す創造的な作品というのは、いつの時代でも、このような衝撃性を有すると思われる。
 アカショウビンが生のクラシック・バレーを観たのは、若い頃にシュトゥットガルト・バレエ団の「スペードの女王」だったか、一昨年になるだろうか、ボリショイバレエ団の来日公演の「白鳥の湖」だけである。数十年の時を経て見た生公演でボリショイの「白鳥の湖」は、今や古典の作品を、それなりに洗練した舞台だったとも思われた。ファンにとっては、貴重な舞台だったであろう。しかし、何の衝撃性もない人形劇のような舞台だった。現代バレーに疎い者にとっては、聴きなれた音楽や我が国の日本舞踊や琉球舞踊を介して愚想を巡らすだけである。高峰秀子は映画の一シーンを撮るために武原はんから指導を受けたことを「私の~」で書いている。それは我が国の優れた踊り手から受けた率直な感想として読むことができる。
 それはともかく。舞踏とは何か?という問いは洋の東西を問わない。一人の優れた踊り手の姿と鍛え上げられた集団の踊りは見る者を挑発し刺激する。それは人間という生き物の存在の意味を突きつけると言ってもよいだろう。ピナと舞踏団の舞台は、そのような愚想に誘い込む痛烈な身体表現である。何とも取りとめもない感想で恐縮。しかし、ピナ・バウシュという稀代のダンサー・振り付け師を映像であれ姿と舞台が見られたことは幸いであった。

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