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2012年3月20日 (火)

吉本隆明の思想

 19日の毎日新聞の夕刊に加藤典洋氏が、吉本隆明(以下、敬称を略させて頂く)追悼の一文を掲載している。見出しは、「『誤り』『遅れ』から戦後思想築く」。加藤が深い影響を受けてきた思想家として吉本隆明と鶴見俊輔を挙げている。加藤は「亡くなられてみて、ぽっかりとした空虚がない、死とはどういうことか。そのことの意味を考えている。」と書き出す。

 そして加藤は吉本の思想を「圧倒的な二十世紀の戦争の全面的敗北の中から、その敗北の意味を汲み上げて創造された、積極的な意味あいをもつ新規の思想の型」のひとつとして吉本を挙げている。それは恐らく鶴見にも同様の型を見ていると思われる。

 その特徴として、吉本が、先の大戦の「誤り」を、「正しさ」よりも、深い経験だ、と見たことを指摘している。

 吉本は、「天皇危うし」、と先の大戦の渦中で述べた高村光太郎の詩作と発言に「眼を離さ」(加藤)なかった。そして加藤は、吉本が『転向論』で、戦時中、抵抗を貫いた非転向の共産党指導者たちをさして、「非転向であることにどんな思想的な意味もない」と全否定し、「移入されたマルクス主義の正しさと、軍国主義下の日本の現実の矛盾のあわいに身を置き、そこでありうべき未知の解を探ることこそが思想の使命だ。非転向組など、そのより困難な思想の勝負から優等生的にオリたにすぎない」、と記した箇所を引用する。

 これは、吉本の真骨頂ともいうべき論説である。解というのは、理系の理詰めで考える吉本らしさが現れ出ている。さらに加藤は吉本の『転向論』の主張として、「移入思想の理解吸収を続けている限り、思想の成長はない。日本のような周辺国、後発国では圧倒的に優勢な移入思想への抵抗が、思想を生み出すカギになる」、と言い切った、として、「その場合、何がより高度な思想への抵抗の母体となるのか。非言語の経験の核心は何か。大衆の原像という考えかたがここから生まれる」と続ける。さらに「後進性が意味の源泉となるということだ。日本の非西洋性、後発性に先進国家とは異なる種類の思想の生まれる可能性を見た」と。

 加藤は、この思想を、「戦後民主主義思想への抵抗として、実は安保闘争のあった1960年以降、ようやくはっきりと姿を取るようになるが、今日必ずしも『戦後思想』として明確に意識されているわけではない。しかし、そういう抵抗の思想が存在してきた。」と述べる。

 加藤が言う、吉本の専売特許のような「大衆の原像」に対しては幾つかの批判もある。田川健三は『思想の危険』で、吉本の『マチウ書試論』はじめ、新約聖書読解の過ちや誤解を批判している。それは、あらためて検証する機会もあるだろう。

 いずれにしろ、戦争を知らない世代が吉本の世代の体験を乗り越えて、新たな思想を展開するには、西洋の移入思想を超えて、各自の持ち場から新たな思索を世に問うしかない。アカショウビンとしては、吉本が依拠する<科学技術>の存在基盤の根拠は、ハイデガーが指摘するプラトンやアリストテレス以来、ローマ時代、ヨーロッパ中世、産業革命を経て変遷してきた、〝西洋の運命〟と見做す出色の科学技術批判の思索とも共振させなければならない。

 また吉本が根拠とした日本の後進性は、現在から将来はどうなのか?それはむしろ日本が先進国となり、東南アジアや中国、アフリカの後進性が「遅れ」をバネとして新たな思想段階を切り開く可能性があるということだ。それに日本はどのように対処しなければならないか、といった新たな問いも生じてくる。吉本の死で戦後思想は区切りがついたとも思われる。しかし新たな困難は、続く世代が背負い乗り越えなければならない。その一つは、科学技術が到達した結果と、象徴としての原子力発電と原子力、或いは物理学的知の行き着く先を思索することであり、それは、ハイデガーが戦後も撤回しなかった、ナチスの〝運動〟の新しさ、とでもいう認識を更に熟考する事と交錯してくる。原発をどう処理するのか、という判断と選択は、ハイデガーが俯瞰する〝現存在の歴史〟と、現在、未来に、深く関わってくる。それは人間という生き物が、此の惑星の住人として刮目して見抜き、行動として切り開かなければならない実に根源的な新たな段階ではないか?

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