« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月24日 (土)

井の中の蛙

吉本隆明(以下、敬称は略させて頂く)は、「死後などあるわけないでしょう。これに気づいたことを最初に思想した宗教者は親鸞だと思います」(「人間と死」)、と述べている。明恵が法然らの浄土教を批判して「われは後世たすからんといふものにはあらず。ただ現世、まずあるべきやうにてあらんといふ者なり」と死後の世界に望みを託す姿勢に反発した姿が吉本の思想と響き合っている。

 また吉本の鶴見俊輔への言及も改めても再考したい。

「井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている、という方法を択びたいとおもう。これは誤りであるかもしれぬ、おれは世界の現実を鶴見ほど知らぬのかもしれぬ、という疑念が萌さないではないが、その疑念よりも、井の中の蛙でしかありえない、大衆それ自体の思想と生活の重量のほうが、すこしく重く感ぜられる。生涯のうちに、じぶんの職場と家とをつなぐ生活圏を離れることもできないし、離れようともしないで、どんな支配にたいしても、無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに、大衆の『ナショナリズム』の核があるとすれば、これこそが、どんな政治人よりも重たく存在しているものとして思想化するに価する」。 

>どんな支配にたいしても、無関心に無自覚にゆれるように生活し、死ぬというところに、大衆の『ナショナリズム』の核があるとすれば、これこそが、どんな政治人よりも重たく存在しているものとして思想化するに価する。 

★ここにアカショウビンは激しく同意する。この「大衆の『ナショナリズム』」については様々な異論があるだろう。先に引用した田川健三の批判も、いま手元に著作がないので確認することはできないが、あるのかもしれない。吉本が言う「政治人」は、「文化人」とか「インテリ」とも置き換えられる。そこで「大衆」と「民衆」は殆ど同じと理解してもいいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月20日 (火)

吉本隆明の思想

 19日の毎日新聞の夕刊に加藤典洋氏が、吉本隆明(以下、敬称を略させて頂く)追悼の一文を掲載している。見出しは、「『誤り』『遅れ』から戦後思想築く」。加藤が深い影響を受けてきた思想家として吉本隆明と鶴見俊輔を挙げている。加藤は「亡くなられてみて、ぽっかりとした空虚がない、死とはどういうことか。そのことの意味を考えている。」と書き出す。

 そして加藤は吉本の思想を「圧倒的な二十世紀の戦争の全面的敗北の中から、その敗北の意味を汲み上げて創造された、積極的な意味あいをもつ新規の思想の型」のひとつとして吉本を挙げている。それは恐らく鶴見にも同様の型を見ていると思われる。

 その特徴として、吉本が、先の大戦の「誤り」を、「正しさ」よりも、深い経験だ、と見たことを指摘している。

 吉本は、「天皇危うし」、と先の大戦の渦中で述べた高村光太郎の詩作と発言に「眼を離さ」(加藤)なかった。そして加藤は、吉本が『転向論』で、戦時中、抵抗を貫いた非転向の共産党指導者たちをさして、「非転向であることにどんな思想的な意味もない」と全否定し、「移入されたマルクス主義の正しさと、軍国主義下の日本の現実の矛盾のあわいに身を置き、そこでありうべき未知の解を探ることこそが思想の使命だ。非転向組など、そのより困難な思想の勝負から優等生的にオリたにすぎない」、と記した箇所を引用する。

 これは、吉本の真骨頂ともいうべき論説である。解というのは、理系の理詰めで考える吉本らしさが現れ出ている。さらに加藤は吉本の『転向論』の主張として、「移入思想の理解吸収を続けている限り、思想の成長はない。日本のような周辺国、後発国では圧倒的に優勢な移入思想への抵抗が、思想を生み出すカギになる」、と言い切った、として、「その場合、何がより高度な思想への抵抗の母体となるのか。非言語の経験の核心は何か。大衆の原像という考えかたがここから生まれる」と続ける。さらに「後進性が意味の源泉となるということだ。日本の非西洋性、後発性に先進国家とは異なる種類の思想の生まれる可能性を見た」と。

 加藤は、この思想を、「戦後民主主義思想への抵抗として、実は安保闘争のあった1960年以降、ようやくはっきりと姿を取るようになるが、今日必ずしも『戦後思想』として明確に意識されているわけではない。しかし、そういう抵抗の思想が存在してきた。」と述べる。

 加藤が言う、吉本の専売特許のような「大衆の原像」に対しては幾つかの批判もある。田川健三は『思想の危険』で、吉本の『マチウ書試論』はじめ、新約聖書読解の過ちや誤解を批判している。それは、あらためて検証する機会もあるだろう。

 いずれにしろ、戦争を知らない世代が吉本の世代の体験を乗り越えて、新たな思想を展開するには、西洋の移入思想を超えて、各自の持ち場から新たな思索を世に問うしかない。アカショウビンとしては、吉本が依拠する<科学技術>の存在基盤の根拠は、ハイデガーが指摘するプラトンやアリストテレス以来、ローマ時代、ヨーロッパ中世、産業革命を経て変遷してきた、〝西洋の運命〟と見做す出色の科学技術批判の思索とも共振させなければならない。

 また吉本が根拠とした日本の後進性は、現在から将来はどうなのか?それはむしろ日本が先進国となり、東南アジアや中国、アフリカの後進性が「遅れ」をバネとして新たな思想段階を切り開く可能性があるということだ。それに日本はどのように対処しなければならないか、といった新たな問いも生じてくる。吉本の死で戦後思想は区切りがついたとも思われる。しかし新たな困難は、続く世代が背負い乗り越えなければならない。その一つは、科学技術が到達した結果と、象徴としての原子力発電と原子力、或いは物理学的知の行き着く先を思索することであり、それは、ハイデガーが戦後も撤回しなかった、ナチスの〝運動〟の新しさ、とでもいう認識を更に熟考する事と交錯してくる。原発をどう処理するのか、という判断と選択は、ハイデガーが俯瞰する〝現存在の歴史〟と、現在、未来に、深く関わってくる。それは人間という生き物が、此の惑星の住人として刮目して見抜き、行動として切り開かなければならない実に根源的な新たな段階ではないか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月16日 (金)

吉本隆明、死去

 今朝、訃報を知った。心からご冥福をお祈りする。父親の世代の戦後の思想家の中では最大の存在だった。高校生の頃から読み出し、詩人、批評家としては、もっとも気になる人だった。その後は、たまに新著には眼を通してきた。『反核異論』や『転向論』などは吉本(以下敬称は略させて頂く)の面目躍如で面白かった。毎日新聞など各紙で論説や語りは散見してきたが亡くなるまで吉本節の意気軒昂さにアカショウビンは刺激、挑発され続けた。貴重な詩人・批評家・思想家の死を心から弔いたい。

 これを機会に著作を読みなおし、吉本思想の真髄を辿りたい。アカショウビンにとっては、小林秀雄の死以来の最大の節目と承知する。夕刊と明日の朝刊ではマスコミで有象無象の論説が跳梁することであろう。その中でこちらとしても何事か表明することになるだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月15日 (木)

鬱々として楽しまず時に激怒

 先々週のことだ。朝の通勤の途中で向こうから歩いてきた背の高い若い男と擦れ違った。そのとき男はアカショウビンを右臂で意図的に突いた。こちらは、それでもんどりうって道路に1回転半した。他の通行人が大丈夫ですか、と声をかけてくれた。アカショウビンは、その方に礼を言うまもなく、その若い男を追いかけた。イヤースピーカーをしていて、外の音は聞こえてないふりをしている。こちらが正面に回り激昂しているのだから反応すればいいのに無視する。こちらの怒りは益々噴き上がる。信号の近くを自転車で行き過ぎようとした警備員のような中高年のオッサンたちを呼び止め事情を説明しようとすると無視された。ますますハラワタが煮えくり返った。このまま、このガキに関わると遅刻してしまう。アカショウビンは罵声を浴びせて出勤した。

 怒りは治まらず警察に電話し事情を説明した。しばらくして管轄の交番に連絡がついた。電話で若いパトロール警官は同情して話を聴いてくれた。交番の中年の警官は多少突き放したような声でケガがなくてよかったですね、と話した。その語調にはケガをしたわけでもないのだから、そんなに怒らなくてもいいじゃないですか、といった含みを聴きとった。しかし、それは一人の市民の怒りに関わりあいたくない仕事上の冷徹さを直感したので、いずれ、そちらへ出向く、と言い捨てて電話を切った。2日後、仕事を終えて交番に行き、その声の主と対面した。仕事の日常に鈍化している中年過ぎのサラリーマンで想定内の応対だった。それなら、こちらは自分で動くしかない。

 若い男は、こちらと眼を合わせようとしなかった。その顔と薄い頬ヒゲは見覚えがある。テレビドラマかCMか何かだ。そこで直感的に察した。こいつは人気商売だから面倒な事にしたくないのだ。変な白髪の爺に関わると仕事に支障を来たすのを直感的に覚ったのだ。ひき逃げ犯みたいな心理なのかもしれない。そうであっても、こちらは黙って済ますことなどしない。警察には届け、そいつが特定できたら、事と次第によっては法を犯してもそいつを弾劾する覚悟だ。

 以前、部下のチンピラ女と、辞職を覚悟で文書でやりとりしたことがあった。先輩、上司に対する無礼を超える不躾にアカショウビンは激怒した。その顛末は会社にも詳細に文書で報告し、事と次第では彼女の親に躾の責任を追求する覚悟だった。つくづく若い男や女の基礎的な立ち居、振るまいが親から躾として教えられていない現実を痛感する。

 それはともかく。そのような日常と仕事のストレスからか、先日は出張先で大事故になる寸前の目にあった。夜の、不案内な土地の暗闇の道路で右折しようとして中央分離帯の縁石に右前輪をぶつけてしまったのである。慌ててバックすると幸い後続車がなく車同士の衝突事故にはならなかった。ところが、近くのコンビニで点検するとタイヤはシューシュー音をたてて、アルミホイールは吹っ飛んでない。これは不味い。レンタカーなのでホテルにも行けない。幸いなことに近くに自動車部品のショップがあった。とにかく、相談してみたら、さすがプロである。スペアタイヤを取り付ければ、とりあえずは走りますよ、と言ってくれた。あぁ、天は吾を見捨てたまわず、と心で手を合わせた。それもまた若者であったが、汚れた仕事着で冷静に言葉少なに応対してくれた彼をアカショウビンは、先の若造と比べて人間の質の違いを直覚した。タイヤ交換費用は千数百円で済んだ。しかしレンタカーは2万円払わなければならない。会社に請求するわけにもいかない。10数年前にも、こちらは被害車であるにも関わらず2万円払わされた。何とも理不尽な規約だ。それ以来だ。ただでさえ食うために四苦八苦しているというのに、これでは踏んだり蹴ったりである。

 憤りと諦めは此の世の習いかもしれない。しかし、諦めなどはしない。覚悟するがよい。アカショウビンはテロリストになる度胸はないが(笑)、ふざけたチンピラ芸能人など、そのままにしてはおかない。警察にも一人の市民が受けた暴力の始末はとってもらう。それができないのなら法を犯しても、その若造をマスコミを通じて引きずり出し事の始末はつけてやる。

 関東から関西に移り住み、アカショウビンは或る地獄を経験した。もちろん、今から思えばである。それを、少し生活が変われば、いとも易々と忘れてしまう。人間など、そんなものだろう。歴史にしてもそうだ。先の大戦で殆どが懲りた筈だが、ネットでは仮想戦争が繰り広げられている。いずれ、また地獄が現出するだろう。昨年の地震と津波、原発事故は、天災と人災による地獄である。それは日本国民にとっても他人事ではない。地獄は冷徹に出現するのだ。それを肝に銘じても現実はそんな人間共どもをせせら笑うように襲ってくるのだ。

 それなら無礼で非礼なチンピラ芸能人やチンピラネエチャンには逆にこちらが地獄を味わわせてやるしかない。

 平穏無事なように見える人々にも地獄は突然に襲いかかる。仏教徒の端くれとして、仏書や思想書を読み耽っても悟りとは隔絶しているのが現実だ。怒りは胸奥から身を焼き焦がすように噴き上がる。それを止めるのは何か。理性や悟性や感性といった西洋哲学用語か?もちろん、そのようなものではない。慈悲でもないかもしれない。

 母を看取るまでの、この3年から4年間にアカショウビンの生活は激変した。その濁流の如き時の流れの中でモガイテいるわけだ。平穏な日常など虚構なのだ。それは現在の政治の茶番を見ていてハラワタが煮えくり返る。仕事に追われストレスを溜めるだけの日々を振り返ってもそうだ。水俣の地獄は東北の人々の地獄として現出したことを人々はやがて忘れる。間違いなく。そこで人は絶望し、諦める。しかし、平穏な日常という虚構を人々は捻り出す。しかし、虚構を虚構として暴き出し人々に知らしめることは可能だろうか?教団や妖しげな教祖たちは、あたかも虚構と現実の境界を自在に行き来するかのように自分たちの虚構を騙る。そこを通過し息がつける時空に至るのは自ら歩き出し探し出すしかない。この数年のアカショウビンの日常は、そこに気がついたことだけは幸いとする。たまには楽しまなければやってられない。まずは、ここで、ささやかな闘争宣言を表明し杯を干し床に叩き割る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 9日 (金)

晩祷

 音楽に餓えていた若い頃に聴いて、人に魂というものがあるとするなら、それが音叉のように共振する体験をしたのは、ラフマニノフの「晩祷」という作品を聴いたときである。レコードはたしか2枚組だった筈だ。それはどこへいったのか、現在手元にあるのはCDである。しかし、そこに聴ける、この作品の本質の如きものは、久しぶりに聴いて、アカショウビンにとって掛け替えのない、人の声を通じて魂の深淵を音として響かせる思いに浸らせる。恐らく洋の東西をとわぬ人が祷るという行為をそこに聴く。それがロシア正教会の夕べか徹夜の祷りという衣装をまとっていても、中の心身は合唱のハーモニーとソリスト達の声を通じて幻聴のように聴こえて来る。

 この作品と出会ったきっかけは既に思い起こすことができない。しかし、未だに言葉の意味がわからなくても、この声に満ちているものは、人という生き物の存在とも魂とも思われる時空から発されるものだ、ということは直覚する。

 ヴェルディやモーツァルトのレクイエムに聴ける祷りとは次元を異にするとも思われるものがあるのではないかと愚想する響きがここにはあるように聴く。敢えて言えば、それは純粋な祷りとも言いたくなる。楽器の伴奏はない。人の声だけである。ハイデガーの言葉を借りれば、「芸術作品の根源」の如きものが、芸術という衣裳を借りてではなく、声を媒介として、こちらの精神を共振させる。

 ロシアの教会や或る空間で響く声をアカショウビンは録音で聴く。そこで響く人の祷りは鎮魂という漢語で、とりあえずは伝えられよう。しかし十分ではない。それは正しくハイデガーの説く存在の声とでも言うものだ。

 ハイデガーは、「存在と時間」以来継続する思索の過程で「たしかに、いまや信仰に基づけられた創造思想は全体としての存在するものについての知にとって、主導的な力を失っているかもしれない。しかし、かつて据えられた、[信仰とは]異質な哲学から借用された存在するもの一切についての神学的解釈は、つまり質料と形相とによる世界の直感は、それにもかかわらず存続することができる。このことは中世から近代への移行期に生じたのである」(「芸術作品の根源」 p35~p36 平凡社ライブラリー645 関口浩訳)と1936年に神学校で3回にわたった講演で述べている。

 久しくハイデガーを読む気力が失せている。日々の仕事に追われている日常から自分の別の関心の領域に移る力が出て来ないのだ。それが音楽の力という杖によって幾らか生じる。しかし、それも通勤し仕事に関わることで、いつの間にか失せることだろう。生きるということは、しかし、日常の繰り返しの中で、その力を呼び戻すということであろう。そのようなことを、最愛の音楽を聴き直すことによって暫し取り戻したことは幸いであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月 4日 (日)

ピナ・バウシュとヴッパタール舞踊団

 高峰秀子の「私の渡世日記」を読みながら、「カルメン故郷に帰る」をレンタルDVDで観直したり、同時に借りてきた「紳士は金髪がお好き」のジェーン・ラッセルとマリリン・モンローの歌う声やダンスを比べてみたりしていると、衝動的に劇場でかかっている「Pina/ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」を見たくなり、昨日、劇場で観てきた。何とも、どういう因果関係なのか他所様から見ると行き当たりばったりでワケがわからない行動で恐縮。それはともかく。この20年くらい、雑誌や新聞の批評欄で読んできたピナ・バウシュと彼女が率いるヴッパタール舞踊団の存在は気にかかっていた。そのうち彼女の訃報を知った。DVDなども探したが手に入れることはできなかった。そして昨日、やっとヴィム・ヴェンダース監督がピナの死後に完成させた作品でピナと舞踊団の舞台と団員が回顧する語りと表情と彼らの踊りでピナの舞踊というより舞踏の何たるかの幾らかを納得し刺激、挑発された、というわけである。
 それにしても新聞評などを読んだにも関わらず来日公演に駆けつける機会があったのだから万障繰り合わせて舞台に駆けつけるべきだった。ヴィム・ヴェンダースが生前に完成させられなかった苦心の理由を少しは納得もした。それは生の舞台でなく、映像でピナのダンスや舞踏団の舞台の本質を伝えることの難しさ、というより不可能さ、は監督ならずとも明白であろうと思うからだ。そこで監督は3Dという技術を採用した。その可否はともかく。今や死語なのかもしれない用語を使えば「前衛的」な舞踏をスクリーンを介して見た幸いを少しは発したい。

 ネットで読んだピナの語りを引用させて頂く。

 「ダンスをする前の体ってあるでしょ。ダンスをする前の準備している体。そういうとき、自分の体を温めて、どうしますか。何かを保持したいと思うかしら?脚を伸ばす?指先を撫でる?
 いったい何かを切り抜けるときって何が必要なんでしょうね。福音。手旗信号。輪っか。子守歌。何かいきいきしているもの。人間についての一文。ねえ、みんなが怖いとおもった瞬間に誰かにしがみつくでしょ。誰にしがみつく?恭順。鳥肌が立ったときにするちょっとした運動。親愛。純粋である何か。何か非常に決定的なこと。仕掛け。他人にアウトサイダーとみなされたとき、どう抗弁するの?
 それでは、誰かに罠をかけます。いいこと、誰かに罠をかけるのね。熊がいてみんながその熊を笑わせなければならないとすれば、どうしますか。私を明るい気持ちにしてくれるには、みんなはどうするの?一本の糸でする遊び。思い出せますか。何かの憧れがないとできないわね。
 さあ、痛いって何でしょう。どうやって痛いになれる? 写真のポーズがいるでしょうか。では、その写真。写真って何かしら。音がない。ひげそりの剃刀。荷造り。急いで荷造りしなくちゃならないのね。
 はい、動物が噛みつこうとするときです。呪文?苦しいときの合図は?赤ん坊の動き?2本指のパドドゥ。勇気と関係する何か。では、われわれはリンゴの木の下にいます。計画はもう進まない。慰める。慰める動き。でも、みんなの心の中には計画がある。何かが小さいのね。払いのける?ええ、そうなのよね。では、幕が開くわよ」。

 以上のピナの語りはヴィム・ヴェンダースが映像化することの困難さを伝えている。正直に言えば、その映像を3Dという、観客に眼鏡を用意させて伝える煩瑣を小生は何とも疎ましく感じた。眼鏡を外すと眼鏡を介した画像より明るいボケた映像がある。その面倒くささは、何といったらいいのだろうか、ネットの仮想時空間での言葉の遣り取りのようなものとでも言えようか。それは、「解釈」とも見做せよう。ヴェンダースはピナと舞踊団のダンスを自らの作品で再構成する。それを「解釈」、と取り合えず言おう。そこにヴェンダースは可能と不可能の間で苦悩したと思える
 冒頭でヴェンダースは、彼らのストラヴィンスキーの「春の祭典」のダンスを見せる。「春の祭典」の初演をしたピエール・モントゥーが指揮した1956年(頃)のパリ音楽院管弦楽団の録音を聴きながら端正とも言えるモントゥーの解釈と舞台を想像するとヴェンダースの解釈の隔たりと近さも愚想する。当時、スキャンダルとも称された音楽と舞台の何たるかの一端は納得する。当時のディアギレフのロシア・バレエ団の舞台とストラヴィンスキーの音楽の衝撃性は恐らくピナの振り付けに再現されているようにも思えたからだ。バレーと称される、素人から見れば、お高くとまった芸術やクラシックと称される音楽の近寄り難いような特権的も言える音楽の小難しい「芸術」の不可解さ、を突き崩す創造的な作品というのは、いつの時代でも、このような衝撃性を有すると思われる。
 アカショウビンが生のクラシック・バレーを観たのは、若い頃にシュトゥットガルト・バレエ団の「スペードの女王」だったか、一昨年になるだろうか、ボリショイバレエ団の来日公演の「白鳥の湖」だけである。数十年の時を経て見た生公演でボリショイの「白鳥の湖」は、今や古典の作品を、それなりに洗練した舞台だったとも思われた。ファンにとっては、貴重な舞台だったであろう。しかし、何の衝撃性もない人形劇のような舞台だった。現代バレーに疎い者にとっては、聴きなれた音楽や我が国の日本舞踊や琉球舞踊を介して愚想を巡らすだけである。高峰秀子は映画の一シーンを撮るために武原はんから指導を受けたことを「私の~」で書いている。それは我が国の優れた踊り手から受けた率直な感想として読むことができる。
 それはともかく。舞踏とは何か?という問いは洋の東西を問わない。一人の優れた踊り手の姿と鍛え上げられた集団の踊りは見る者を挑発し刺激する。それは人間という生き物の存在の意味を突きつけると言ってもよいだろう。ピナと舞踏団の舞台は、そのような愚想に誘い込む痛烈な身体表現である。何とも取りとめもない感想で恐縮。しかし、ピナ・バウシュという稀代のダンサー・振り付け師を映像であれ姿と舞台が見られたことは幸いであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »