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2012年2月19日 (日)

渡世に関するメモ

 先日から読み継いでいる、昨年亡くなった高峰秀子(以下、敬称は略させて頂く)の「わたしの渡世日記」を面白く読んでいる。それは一人の女の一生(正確には半生だが)を振り返り、戦前・戦中・戦後の映画史と此の国の歴史が反照して面白い。

 本日、高峰も出演している「宗方姉妹」(小津安二郎監督 1950年)を観直した。戦後5年目、名作「晩春」の翌年の作品である。そこには家族や夫婦の愛憎を介した小津の戦後日本へのメッセージが顕に表されている。それは敗戦の屈辱と解放の世相の中で、「言いたいことは隠せ」といった信条を逸脱した小津の「言いたいこと」が妹役の高峰へ姉役の田中絹代の台詞として語られている。図式的に言えば、田中は古い日本的な女で、高峰はモダンガールである。そこで戦後のモガへ小津は田中の生き方と信条を介して自らの考えを代弁させている。しかし、それは、それほど単純なものでもなく、二人の娘の父親役の笠 智衆の台詞を介して二人の娘の生き方の両方を肯定し、どちらかに加担する安易を超越しようとする解決を物語の結末としている。

 「わたしの渡世日記」では、この作品の制作の過程が高峰の回想として面白く描かれている。田中は小津にずいぶんシゴかれたらしい。「日米親善使節」として渡米した田中が帰国した時にマスコミは、日本を代表する女優とも見做した人が、かつての戦勝国に日本女性の誇りを伝えて帰国する姿を期待していたのを、洋装と投げキッスでタラップを降りた田中を、そこまでやるか、というくらいにコキ降ろした。田中は自殺さえ考えた、と高峰に洩らした、と書いている。そのような状況で制作されたのが「宗方姉妹」という作品であることは様々な感慨をもたらす。

 高峰の渡世は、この著作の中で赤裸々に述べられている。しかし恐らく書かれていない多くの事実があるだろう。それでもこの著作は一人の女優が経験した少女時代の戦前から戦中、戦後を通過し、女優として、一人の女として、一人の日本人の生き様が実に生き生きと描かれている。そこには若き黒澤 明の姿も活写されている。改めて一人の女の一生、というより、人間の一生の数奇を思い知らされる著作である。

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