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2012年2月25日 (土)

歴史事実とは何か

 「南京大虐殺」と呼称される、日本と中国の間の戦争の渦中に生じた「事件」は戦後の極東軍事裁判の中で指摘され、1970年代には朝日新聞の本多勝一記者が詳細を取材し朝日新聞の記事と本多氏の著作の中で公刊され物議を醸した。それは図式的に見れば左右両翼の論戦となった。それがまたぶり返したようだ。名古屋の市長が、こともあろうに南京市の関係者たちに公然と話したらしい。アカショウビンはこの男がどういう根拠で「南京大虐殺」という「事実」は無かったのでないか、と発言したか詳らかにしない。しかし、その軽率さは直感する。なぜなら、それは本多氏の取材と記事を読み、否定論者の論説も読んできた者として聞き捨てにできない。というより、都知事の軽薄と通底する、チンピラ的言辞の底の浅さを直感するからである。

 この40年近く、左右両翼の政治的立場と歴史事実への直視という狭間で、「南京大虐殺」という歴史事実は激論が交わされてきた。それはアカショウビンが確かめた論説、文献の中でも際立って特異な様相を帯びている。それは歴史事実の認識という争点を有する。「南京大虐殺」という事実は無かった、という主張は未だ存命か知らぬが鈴木 明氏の論説に「幻」として主張された。それは本多氏の記事と反論者の論説に眼を通してきた者にとって黒を白と見做す視点である。それは政治的意図を帯びた論説とも見做せる。名古屋市長の言説にも、その作為を看取する。その現場で、どのような論議があったかは詳らかにしない。しかし、それは意図したかどうか知らぬが、国家の「歴史認識」に関わる経緯に抵触する事であることを、名古屋市長が自覚していないようにも思われる。しかし、もしそうであったとしたら、事は二つの国家の歴史事実への認識という一人の市長の発言だけでは済まない領域に踏み込むことである。

 「南京事件」は恐らく歴史事実である。本多氏の記事・論説と否定論者の論説を比較するに事実は明らかである。しかし論争は、殺された人々の数で異なる。しかし、それは虐殺が有ったか無かったか、という問いをすり替えた論議である。少なくとも、本多氏の取材した事実を考慮すれば、それは厳然とした「事実」である。それを政治的意図で否定することは事実を直視しない無知と悪意に立脚する安直なチンピラ的妄言でしかない。

 人は目つきと話し振りを見れば、その人間の発言の底にある何事かはわかる。名古屋市の市長にしろ都知事にしろ、その姿と発言を検証すれば底の浅さと無知、不見識は明らかだ。当時の両陣営の論戦の激しさの根拠となっている死者の数は改めて南京市と日本側が検証すれば或る程度は明らかになる筈だ。それを有ったとか無いとかいうレベルで喋々すること自体が聞き読むに耐えないチンピラ的言辞である。

 それは極東軍事裁判やニュルンベルク裁判を介して戦争裁判の可否に関わってくる。しかし、権力を持った政治屋などがこぼす軽率とも軽薄と言うには、あまりにも発言する人物の品格と思想的背景が赤裸々にされる。それは、マスコミの政治的立場とか思想的立場を超えた事実への了解の位相の異なりである。しかしそれは哲学的な論議ではなく、事実の認識である。それに近似する議論はナチのユダヤ人虐殺の象徴であるアウシュヴィッツなどの強制収容所での大虐殺が有ったとか無かったとする論議と同様である。規模は違えど戦争という場は敵となった国の兵隊や国民を殺せと命じ、自国の異分子、反逆者を拘束し時に虐殺する。そこで、国家という体裁をとった集団の本質が剥き出しになる。日常では予想も出来ない行為に国家と称される権力は諾を下す。それを、見て見ぬふりをする発言は無知というより自らの幼稚さを公けに晒すことである。それは人間として仏教用語の「外道」という最大の侮辱語が事の顛末には相応しい。

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