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2012年2月29日 (水)

杢太郎さん

  石牟礼道子さんが「苦海浄土」の第4章「天の魚」の〝九竜権現さま〟で書いた江津野杢太郎少年の祖父の言葉として表した箇所を引いておく。石牟礼さんは、現在も存命の彼を病院に見舞った時に新版の文庫本を進呈した。

 わしも長か命じゃござっせん。長か命じゃなかが、、わが命惜しむわけじゃなかが、杢がためにゃ生きとろうごてござす。いんね、でくればあねさん、罪かぶった話じゃあるが、じじばばより先に、杢の方に、はようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかことでございます。寿命ちゅうもんは、はじめから持って生まれるそうげなばってん、この子ば葬ってから、ひとつの穴に、わしどもが後から入って、抱いてやろうごだるとばい。そげんじゃろうがな、あねさん。(同書p207)

 昭和30年生まれの杢少年は現在56歳になっている。身体は中高年の肉体に成長している。表情と眼からは石牟礼さんの言葉と意思がすべて伝わっているとも思われない。しかし、パーキンソン病にお罹りと聞く石牟礼さんが、かつて「少年とわたくしの心は充分通いあっていた」(同書p215)と書いた男に、首をふりふり語りかける姿は、人の心の通いあいの不可思議と困難にも突きあたる。杢少年は祖父母が亡くなっても、しぶとく或る意味で逞しく生きていたことを喜ぶべきか憐れむべきか。恐らく、そのような二者択一的見方では把握できない次元と領域で杢氏は生きている、とアカショウビンには思われた。それは他者などには理解できる筈がない。恐らく、此の世を生きる、とはそういうことだ、と思い知る。他者から見れば「痛苦」と見えても、本人には果たしてそうであるのか?それは恐らく、日常として現在の空間と時間、強いて言えば実存を呼吸しているのだ。何が痛苦だ、苦だ、オレはオレの生を生きているだけだ、と杢さんは言いたいように、アカショウビンには思えた。それさえも杢さんからすれば笑止であろう。 

 石牟礼さんは今や中年になった自分の意思を言葉にできない息子のような男に首をふりふり自著を朗読し語りかける。此の世とは時に不可思議な時空を生み出す。石牟礼さんは、かつての少年の、じじばばの立場で中年になった少年に、自分の言葉の意味が伝わっているかどうかわからぬ、言葉と語りで男の記憶と精神の襞とでもいう心身に言霊とでもいうものを吹き込もうと話す。杢さんの表情は不思議に、それは錯覚かもしれないが、受け入れられたようにも見えた。石牟礼さんは、かつての少年に、祖父が残した言葉を巫女のようにではなく、一人の老婆として人間の言葉で伝えようともがいているようだった。

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2012年2月27日 (月)

此の世の苦

 昨夜のNHKテレビで石牟礼道子さんが特集されていた。昨年から今年にかけて、渡辺京二氏の著作に誘われて「苦海浄土」を30数年ぶりに読み直したことは既に書いた。同書の〝天の魚〟の章に登場する、水俣病に罹った母親の胎内で水銀中毒に犯された胎内中毒患者として此の世に生まれた〝江津野 杢太郎〟少年が現在も生きていることがわかった。患者たちの当時の映像は驚倒するしかない。当時、土本典昭監督の作品で見た筈の映像は既に忘却の彼方だったが、改めて視て、此の世の苦というしかない映像に暗澹となる。石牟礼さんは「苦海浄土」の文庫本を持参し彼に読み聞かせる。それを未だ水銀中毒のために話すことさえできぬ彼が理解しているかどうかさえわからないが、二人は何事かの意思疎通を図ろうとする。テレビカメラが回るなかで、それができたかどうかさえ不明だ。しかし少年の祖父母が、彼の将来を心配し語った、石牟礼さんの文章は痛切だ。それは此の世の苦の最たるものの一つである。平凡な日常の繰り返しと溜まる仕事のストレスにへたりそうな毎日に、〝杢太郎〟少年の姿は痛棒を喰らわす。

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2012年2月25日 (土)

歴史事実とは何か

 「南京大虐殺」と呼称される、日本と中国の間の戦争の渦中に生じた「事件」は戦後の極東軍事裁判の中で指摘され、1970年代には朝日新聞の本多勝一記者が詳細を取材し朝日新聞の記事と本多氏の著作の中で公刊され物議を醸した。それは図式的に見れば左右両翼の論戦となった。それがまたぶり返したようだ。名古屋の市長が、こともあろうに南京市の関係者たちに公然と話したらしい。アカショウビンはこの男がどういう根拠で「南京大虐殺」という「事実」は無かったのでないか、と発言したか詳らかにしない。しかし、その軽率さは直感する。なぜなら、それは本多氏の取材と記事を読み、否定論者の論説も読んできた者として聞き捨てにできない。というより、都知事の軽薄と通底する、チンピラ的言辞の底の浅さを直感するからである。

 この40年近く、左右両翼の政治的立場と歴史事実への直視という狭間で、「南京大虐殺」という歴史事実は激論が交わされてきた。それはアカショウビンが確かめた論説、文献の中でも際立って特異な様相を帯びている。それは歴史事実の認識という争点を有する。「南京大虐殺」という事実は無かった、という主張は未だ存命か知らぬが鈴木 明氏の論説に「幻」として主張された。それは本多氏の記事と反論者の論説に眼を通してきた者にとって黒を白と見做す視点である。それは政治的意図を帯びた論説とも見做せる。名古屋市長の言説にも、その作為を看取する。その現場で、どのような論議があったかは詳らかにしない。しかし、それは意図したかどうか知らぬが、国家の「歴史認識」に関わる経緯に抵触する事であることを、名古屋市長が自覚していないようにも思われる。しかし、もしそうであったとしたら、事は二つの国家の歴史事実への認識という一人の市長の発言だけでは済まない領域に踏み込むことである。

 「南京事件」は恐らく歴史事実である。本多氏の記事・論説と否定論者の論説を比較するに事実は明らかである。しかし論争は、殺された人々の数で異なる。しかし、それは虐殺が有ったか無かったか、という問いをすり替えた論議である。少なくとも、本多氏の取材した事実を考慮すれば、それは厳然とした「事実」である。それを政治的意図で否定することは事実を直視しない無知と悪意に立脚する安直なチンピラ的妄言でしかない。

 人は目つきと話し振りを見れば、その人間の発言の底にある何事かはわかる。名古屋市の市長にしろ都知事にしろ、その姿と発言を検証すれば底の浅さと無知、不見識は明らかだ。当時の両陣営の論戦の激しさの根拠となっている死者の数は改めて南京市と日本側が検証すれば或る程度は明らかになる筈だ。それを有ったとか無いとかいうレベルで喋々すること自体が聞き読むに耐えないチンピラ的言辞である。

 それは極東軍事裁判やニュルンベルク裁判を介して戦争裁判の可否に関わってくる。しかし、権力を持った政治屋などがこぼす軽率とも軽薄と言うには、あまりにも発言する人物の品格と思想的背景が赤裸々にされる。それは、マスコミの政治的立場とか思想的立場を超えた事実への了解の位相の異なりである。しかしそれは哲学的な論議ではなく、事実の認識である。それに近似する議論はナチのユダヤ人虐殺の象徴であるアウシュヴィッツなどの強制収容所での大虐殺が有ったとか無かったとする論議と同様である。規模は違えど戦争という場は敵となった国の兵隊や国民を殺せと命じ、自国の異分子、反逆者を拘束し時に虐殺する。そこで、国家という体裁をとった集団の本質が剥き出しになる。日常では予想も出来ない行為に国家と称される権力は諾を下す。それを、見て見ぬふりをする発言は無知というより自らの幼稚さを公けに晒すことである。それは人間として仏教用語の「外道」という最大の侮辱語が事の顛末には相応しい。

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ヴェルディの「レクイエム」雑感

 A・タルコフスキー監督の「ノスタルジア」という作品の冒頭でヴェルディの「レクイエム」の冒頭の旋律が流れた時に、この作品の深みを、直覚とでもいうのか或いは直感した経験を思い出す。今もあるのかどうか知らないが六本木の劇場だった。以来、ヴェルディの「レクイエム」はモーツァルトの「レクイエム」と同じくらいか、それ以上に繰り返し聴いてきた。

 今朝もCDを聴き、その後にLDで映像を見ながら聴いた。両方とも指揮はカラヤン。ベートーヴェンやブラームスなど聴く気になれない指揮者だが声楽が入ればソリストの声質の違いに集中して、それなりに聴ける。オーケストラはCDがベルリン・フィル。LDはミラノ・スカラ座。ソリストはCDがミレルラ・フレーニ(ソプラノ)、クリスタ・ルートヴィッヒ(アルト・コントラルト)、カルロ・コッスッタ(テノール)、ニコライ・ギャウロフ(バス)。LDがレオンタン・プライス(ソプラノ)、フィオレンツァ・コッソット(メゾ・ソプラノ)、ルチアーノ・パヴァロッティ(テノール)、ニコライ・ギャウロフ(バス)。以前にも書いたけれども、アカショウビンはフィオレンツァ・コッソットの熱烈なファンである。若い頃にヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」のアズチェーナという役柄をレコードで聴いて以来である。数年前に来日し暮れのテレビで日本のオペラ・ソリスト達と共に「椿姫」の〝乾杯の歌〟を歌っていた高齢のお姿を拝見した幸いを思い出す。カラヤン指揮でミラノ・スカラ座との演奏で歌ったのは1967年だから45年前になる。声の張りと艶の素晴らしさを改めて謹聴した。CDは1972年の録音。両方に起用されているニコライ・ギャウロフは稀代のバスである。モーツァルトの「ドンジョヴァンニ」をクレンペラー指揮で歌ったレコードは今でもフルトヴェングラー盤と並ぶ「ドンジョヴァンニ」の最高傑作だと確信する。

 それにしても映像でカラヤンの指揮ぶりを見ると音楽に集中している様子は耳で聴いているのとは異なり、それなりに納得する。巷間、揶揄される、眼を閉じて指揮しているだけではない。要所では、ちゃんと眼を開き意志を伝えようとする。それは音楽に対する生真面目さをも看取して少しは見直したりもするのである。

 5年後に再録された両盤を聴き直して思うのは、女声ソリストの違いである。5年前は本場のソリストとオーケストラを起用して恐らく一回撮りである。CDは多分、編集されている。そこに音楽の緊張感がまるで異なって現れる。LDの女声のソリストはCDと比べてレオンタン・プライスの強烈な高音が際立ち、コッソットの芯の強いメゾ・ソプラノと拮抗して作曲者の熱情を伝えているように聴ける。一方、CDのフレーニとルートヴィッヒは渋く溶け合っている。カラヤンがフルトヴェングラーとはまるで違うオーケストラに変えたベルリン・フィルで録り直した意図が少しは伝わる。指揮者は一人で音楽は作れない。オーケストラやソリストが違うと音楽はまるで異なる様相を帯びる。アカショウビンにとっては、この作品はモーツァルトと並び愛好してきた作品である。改めてソリストたちの声の個性の違いとハーモニーの美しさに聴き惚れた。また映像を見ることでソリストたち、コーラス団員たち、オーケストラの楽員たち、指揮者の振り方などで音だけに集中して聴くのとは異なる経験を改めて実感した。

 それはまた、人間の五感の働きの中で、視覚と聴覚の違いを痛感することでもある。あるいはまた、ヨーロッパという地域で高度に洗練されたクラシック音楽が到達した高みと深みを介して、人と音楽、人と映像の関係はどのようになっているのか?という問いに誘われることでもある。

 映画は映像と音楽の掛け算だ、と言ったのは黒澤 明だが、映像を見ながら音楽を聴いていると、そこにも何事かの意味が読み取られるように思う。特にそれがレクイエムのように死者を弔う音楽の場合、音楽が発するエネルギーと力を痛感する。ヴェルディとモーツァルトのレクイエムを比較すると、拠って立つ文化風土の違いが際立つように思う。モーツァルトは純音楽的とでも言おうか、音楽を介して人間が渇望する崇高さとでも言うのか、その高みへ一心に昇ろうとする健気さというのか、もがきとも思える境地を醸しだしているが、ヴェルディの場合は、生涯オペラ作曲者として創作し続けた音楽家として、人間臭いというのか、この作品がモーツァルトのように注文に応じて作られたものでなく、ヴェルディの幾つかの作品をまとめて構成されたという内容の違いにも改めて気付く。それにしてもこの二人の音楽家の強烈な個性の違いは実に面白いというしかない。

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2012年2月19日 (日)

渡世に関するメモ

 先日から読み継いでいる、昨年亡くなった高峰秀子(以下、敬称は略させて頂く)の「わたしの渡世日記」を面白く読んでいる。それは一人の女の一生(正確には半生だが)を振り返り、戦前・戦中・戦後の映画史と此の国の歴史が反照して面白い。

 本日、高峰も出演している「宗方姉妹」(小津安二郎監督 1950年)を観直した。戦後5年目、名作「晩春」の翌年の作品である。そこには家族や夫婦の愛憎を介した小津の戦後日本へのメッセージが顕に表されている。それは敗戦の屈辱と解放の世相の中で、「言いたいことは隠せ」といった信条を逸脱した小津の「言いたいこと」が妹役の高峰へ姉役の田中絹代の台詞として語られている。図式的に言えば、田中は古い日本的な女で、高峰はモダンガールである。そこで戦後のモガへ小津は田中の生き方と信条を介して自らの考えを代弁させている。しかし、それは、それほど単純なものでもなく、二人の娘の父親役の笠 智衆の台詞を介して二人の娘の生き方の両方を肯定し、どちらかに加担する安易を超越しようとする解決を物語の結末としている。

 「わたしの渡世日記」では、この作品の制作の過程が高峰の回想として面白く描かれている。田中は小津にずいぶんシゴかれたらしい。「日米親善使節」として渡米した田中が帰国した時にマスコミは、日本を代表する女優とも見做した人が、かつての戦勝国に日本女性の誇りを伝えて帰国する姿を期待していたのを、洋装と投げキッスでタラップを降りた田中を、そこまでやるか、というくらいにコキ降ろした。田中は自殺さえ考えた、と高峰に洩らした、と書いている。そのような状況で制作されたのが「宗方姉妹」という作品であることは様々な感慨をもたらす。

 高峰の渡世は、この著作の中で赤裸々に述べられている。しかし恐らく書かれていない多くの事実があるだろう。それでもこの著作は一人の女優が経験した少女時代の戦前から戦中、戦後を通過し、女優として、一人の女として、一人の日本人の生き様が実に生き生きと描かれている。そこには若き黒澤 明の姿も活写されている。改めて一人の女の一生、というより、人間の一生の数奇を思い知らされる著作である。

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2012年2月14日 (火)

女性的なベートーヴェン

 売り出し中の女性ピアニストのリサイタルの批評を新聞で読んだので演奏された作品を続けてCDで聴いた。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは本当に久しぶり。しかも作品14と作品27。通し番号で云えば9番と10番。調性はホ長調とト長調。それに作品27の2曲。こちらは13番と14番で調性は変ホ長調と嬰ハ短調。14番は有名な「月光ソナタ」である。作品14は若い音楽家の自由な発想が溢れ若きベートーヴェンの世界が新鮮でもある。評者によれば「ベートーヴェンの音楽に秘められていた女性的情感が現れた。」と書かれている。

 CDの演奏のホ長調の作品14のアレグロは出だしがせっかち。これはもっと違う演奏のしかたがあると思う。演奏者はバックハウス。昔の音楽雑誌の番付では必ずベスト3には入る全集だから畏れ多い感想であるが。しかし初期の幾つかのベートーヴェンの演奏にバックハウスは老いの為か、あるいは、それが自分の解釈とでもいうのか、何ともそっけない。それは作品13になるといくらか共感できるが、いかんせんアカショウビンも若い頃からあまり聴きこんできたとはいえない作品である。専門家が聴けば、また違うのかも知れない。まぁ、演奏家の好き嫌いを言いたいわけではない。これから大家へ登りつめようとしている俊才の選んだ作品を好奇心で聴いてみただけだ。

 しかし、女性ピアニストが選んだ選曲として評者が書くように、そこには技法上のあるいは演奏者の考えた構成や意図があるのだろう。

 それはともかく。バックハウスの「月光」ソナタは非の打ち所がない名演と思う。これは録音も他の演奏と空気が違う。演奏年は確認していないが、この全集の中でも早い時期のものかもしれない。他の演奏と違って技術に不安定さやふらつきがない。完璧な演奏と言ってもよいと思う。

 その演奏会は半年サイクルで進行中のベートーヴェン・ピアノ・演奏会の第3回だそうである。前半の最後には作品90をもってきたそうだが本日は割愛。もう夜も遅い。

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2012年2月 9日 (木)

日々愚想

 昨年亡くなった高峰秀子の「私の渡世日記」を面白く読んでいる。50代になった著者が子役時代から自らの人生を、小またの切れ上がった、とでも言うのか江戸っ子の、べらんめぇ調も生かした文体が面白い。一人の女優の人生は、深く生きた時代と関わっていることを伝えている。行間からは著作として発刊されるまでに周辺の人々の様々な指摘や事実確認を経て仕上がったことも読み取られる。それは歴史事実の裏づけ的内容も有することが高い評価を得ている理由だろう。表層的に了解される一人の人間の生き方が、かように数奇で紆余曲折を経たものである、という一つの事例として読むことも出来る。

 それはまた自らの人生についても振りかえる刺激を与える。それは若い頃に見て以来の映画や書物を改めて観直し、読み直すことでも痛感する。それはアカショウビンの関心の中核ともいえる内容を含んでいる。以下の文章もそうである。失礼ながら転載させて頂く。

 >次回は、神風連の林桜園に影響を与えた本居宣長ということですが、いったい本
居宣長の何をどう読めば、あんな行動に結びつくのでしょうか。興味深いです。

一次会で、ちょっとご紹介した桶谷秀昭の文章ですが、「天の河うつつの花」
(1997年)の中に収められている寺田透への追悼文に、小林秀雄の本居宣長につい
てやたら長く書かれていました。初出は、「現代詩手帳」の平成8年2月号だそう
です。

この桶谷の文章は、寺田透への追悼文であるのに、その半分以上が、小林秀雄と
その『本居宣長』批判に向けられています。寺田透は、小林秀雄の追悼文でも、
きっちり批判をしていたようです。ここまでけちょんけちょんに小林秀雄をけな
した文章も珍しいので、とりあえず、桶谷の書いた寺田透追悼文の中から、小林
秀雄関連のところだけ、ご紹介します。(保田與重郎まで、登場しています!)

「志気と含羞の批評家 寺田透」より
 寺田透は、柔道にたとへるなら、その胸を借りて乱取り稽古をしたくなるやう
な文学者であつた。乱取りは試合でないから、試合にともなふ掛け引きを必要と
しない。といふより邪魔になるのである。虚心におのれの技をためす稽古の場で
ある。相手に投げられることを意に介さない。

 そのおびただしい現代作家や批評家を論じた作家論は、常住坐臥において、こ
れといふ相手が眼にとまれば、すつと立ちあがつて相手の襟と袖をつかむ、さう
いふ果断な起居振舞いを感じさせる。

 つまり寺田の作家論じたいが、乱取り稽古の連続のやうなものだ。

 むかし散々に投げられた相手にたいしては、二度と同じ技を喰はない。逆に相
手の技ごとに返し技をかけて、その掌のうちをあきらかにする。小林秀雄を論じ
た文章などがその際立つた例であらう。

 就中、「小林秀雄の死去の折に」と題した文章など、痛烈をきはめる。


「実際さう(小林といふひとはたえず自分の独創性を発明しながら生きて行くひ
と)見えてゐたのである。しかし戦後一つ二つと全集が出、その中に昔読んで震
撼を受けた文章が一部削除されて入つてゐるのを見たり、たしかに読んだ筈の警
句がどこからも見出されない経験をしたりしてゐるうち、僕はかれを、後世のた
めに自分の姿を作つて行くひとと思ふやうになつた。」

 小林秀雄が「男らしい、言訳けをしないひと」であるといふ世評は、すくなく
ともその作品の中に認めることはできない、といふのである。(略)


「小林氏の享年が八十だつたといふことも、僕にはなんだかほんとには思へない
ことのやうに感じられる。」


 その理由として、小林秀雄の生涯のいくつかの時期に相互の脈絡をつけがた
い、「その一つから次の一つに植物的に成熟し、柄が大きくなつたのとは形の違
ふ、---いはば動物的変化変貌を遂げて、つひにその死を迎へた点にそれを見
ることができよう。」といふ。

 さうすると、小林秀雄が還暦前後にたしか感想のかたちで書いた、年齢とか成
熟についての洞察は、自覚といふよりは、自意識の手の込んだ表現といふことに
なるだらうか。

 たしかに小林秀雄が年齢とか成熟を語るときの文章には、それにふさはしい流
露感よりは、それらについての一種のシニシズムを想定して置いてそれへの斬り
返しといふ発想のもつ苦渋が感じられる。寺田透がさういふ自意識のはたらきを
突いてゐるのだとしたら、それは気むづかしい批評で
あつても、暴論ではない。

 ここで思ひ浮べるのだが、さういへば、晩年の寺田透の文章の一種独特なあの
晦渋は何であつたらう。年齢とともに文章が平明になるのとは逆の行き方を、あ
へて意識的にやつてゐるとも考へられるあの態度は何に由来してゐたのであらう。

 どうもそれは、小林秀雄の成熟を擬似的なものと見て、批評する気むづかしさ
と根を同じくしてゐるのではないか。

 ともかく、寺田透はここで、小林秀雄のライフ・ワークである『本居宣長』
が、何やら動機不明の作品であることをいひたいのだ。

「『本居宣長』同『補記』はたしかに暖く明るく、歌つてゐるやうでさへある。
しかしあれを書いた著者の動機が僕にはひとめで明瞭といふわけには行かず、む
しろ、外見の温雅あいたいの奥で、わざとのやうに目に見えなくされてゐるとい
ふ感じを受ける。ただ一つ自己流に僕も推測する動機、といふよりそれとなく感
ぜられることを何かと言へば、それは、小林氏が、自分の吐き出す本居宣長とい
ふ名の光沢のある繊維で造られる大きな繭の中にこもつてしまはうと図つたので
はないかといふことだ。」

「なんだか大きな白い布が高々と掲げてあり、その前で繰返し説き、さらに、も
とに戻つてもう一度読直してもらひたいなどと、何度か言ひながら著者の口から
出る言葉が、布に一面に貼りつくと布は段々著者の方に引き寄せられ、つひに著
者をくるんでしまふ、さういふ幻想さへ湧く。」

 その違和感は、私にも思ひあたる節のあるもので、小林秀雄が昭和八年の「故
郷を失つた文学」から、暗黙のうちに幾度かの軌道修正をおこなひつつ「西行」
や「実朝」にたどりついたその道程を私なりに納得しながら、その線上に本居宣
長が据るといふ必然がいまひとつ肚に落ちて感じられない。

 ベルクソンのことは私にはわからないが、ドストエフスキイを途中で投げ出し
た小林秀雄が、なぜ宣長を十年かかつて完結し、それが生涯のしめくくりとなつ
たのかの内的たて糸が、みえにくいのである。

 あの仕事はおほかたの讃辞にとりかこまれたが、よくみると必ずしもさうでは
ない。たとへば、保田與重郎の随筆風な「小林氏『本居宣長』感想」などは、終
始オマージュの連続にみえるが、よくみるとさうではない。私の想ひでは、保田
與重郎が生涯のをはりに宣長を論ずるのだつたら、自然にその動機がわかるので
ある。その保田與重郎からみたら、小林秀雄の仕事は、何といふことをやる人
だ、の感に尽きたであらう。その驚きの感想をオマージュのかたちでいふか、全
否定でいふかは、同じことなのである。これほどイロニイに満ちたオマージュは
ない。


「小林氏はこの本で、一番大事なことは一つだらうが、次々に大事なことと大変
なこととを、教へられる。私の感心したことは、その心づかひの親切さだつた。
この親切は、人の世の中で、文明といふものを念々に観じ、現実にそれをなしあ
げるといふ、慈悲の悲願をもつ人の思ひだ。ここで私は求道の人、聖者の歩みを
してゐる人のもつ悲壮さを感じる。」

 ここにくりかへしていふ「親切」が何を意味するか。それは宣長の言葉を、”
文明開化の論理”の言葉に啓蒙的に反訳する努力と労苦を伴ふ野心を指してゐよ
う。それは保田與重郎には、せいぜい控へ目にいつて縁うすき仕事なのだ。”文
明開化の論理”は、保田が戦前から否定してきたものである。(略)

 小林秀雄は宣長にすこしも切り込まうとしてゐない。それどころか「自分の吐
き出す本居宣長といふ名の光沢のある繊維で造られる大きな繭の中にこもつてし
まはう」とする。これが寺田透のいひたいことで、それは保田がいふ小林の「親
切」とか「悲壮さ」を、別の直截な表現で指摘していたことにならないかと思
ふ。(以下略)

 ★ここに示される桶谷氏の著作は数年前に読んで面白かった。その氏が、アカショウビンが若い頃から読み続けてきた二人の批評家と、この10数年読み続けてきた保田與重郎の仕事を介して小林秀雄という先達批評家を、「批判」して浮かび上る小林の仕事の隠され削除された文章の何かが垣間見えるところが何とも興味深いのである。そこには書き手が意図している小林批判といったものではなく、それは小林秀雄という存在の多様性が含まれていることは一読すればわかる。そこからは多岐の論点が浮かび上る。それは現在の世相にまで反照、反響する。アカショウビンの中ではテオ・アンゲロプロス作品や松井冬子の作品にまで。あるいは先日読み直し刺激された吉田秀和氏の「フルトヴェングラー」の著作に収録されている丸山眞男との対談で論じられるフルトヴェングラーとトスカニーニの確執もそうである。丸山のフルトヴェングラー評は単なる音楽批評の理解を越えて政治思想学者としての仕事と深く関わっていることは言うまでもない。

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2012年2月 6日 (月)

タナトス

 先日惜しくも交通事故で急逝したギリシアのテオ・アンゲロプロス監督の作品群の底に流れるトーンは死者たちへの眼差し、というものだ。代表作とも言われる「旅芸人の記録」(1975年)は数年前にやっと観ることができた。そういう感想を持つのは「エレニの旅」(2004年)という作品や「シテール島への船出」(1984年)、「永遠と一日」(1998年)などを観てそう思うのである。独特の長回しのキャメラワークは人によっては退屈でもあろうが、監督独特の語り口に分け入れば作品の狙いは深く観る者を挑発する。「エレニの旅」の後に新作を撮られたようで今年公開されるというので楽しみだ。しかし最新作を今年中に完成させる予定だったというから残念だ。

 ギリシア近代史と現在を往還しながら死者たちへの視線を含みに監督は一見難解な作品を創造してきた。それは松井冬子の作品とも共通すると思われる。松井作品の底にあるのも死への強い関心だ。それは時に幽霊であり死体であるわけだが、巷間批判されるグロテスクなどというものとは作品に正面すれば、まったく的外れなことがわかる筈だ。

 テオ作品と松井冬子作品の間に共通するものはギリシア語のタナトスという語が媒介するようにも思える。いずれにしても作品に接して再考しよう。

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