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2012年1月14日 (土)

日々愚想

 昨日のNHKテレビで太陽の黒点の出現の周期性と地球への影響が興味深く解説されていた。黒点を初めて発見したのがガリレオだったことなど初めて知った。太陽の磁場(というのだろうか?)が宇宙から飛来する宇宙線を遮蔽したり、できなかったりするということも。地球上の雲の量が宇宙線と関連していることにも驚く。太陽や地球という惑星は宇宙の中で一見孤立しているようだが実はそうではなく何らかの関係性を持っているということだ。その具体例が何とも興味深かった。

 先日の山折哲雄氏の話に刺激されて法華経の譬喩品を一読した。氏は、仏教はユダヤ・キリスト教と異なり一部の人だけを救う思想ではなく、全ての人々を救う思想だと話しておられた。如来(仏)の教えを忌避する者たちは地獄へ落ちる。であれば、全てではないのではないか、という疑問も湧く。それは浅読みというものだろうが、他の品も読み愚考を重ねたい。

 先のブログで書いた五木寛之氏の新著はアカショウビンが予想したような内容とはまるで異なるもののようだ。購入はしたが未だ読み終えていないので途中まで読んで予想とは異なる内容であることだけはわかった。それはともかく。高度成長でアメリカに追いつき追い越せと敗戦後を復興してきて殆ど頂点を究めた国家と国民が後はアクセクしないで、山を降りながら、登るときには見なかった景色も楽しみながら、登山でも難しいとされる下山の時を過ごせ、という主旨のようなのだ。感想は読み終えてから改めて書こう。

 何となく内外の情勢が以前に増して騒がしくなってきたように感じる。我が国は既に昨年の大震災と津波、福島の原発事故で日本国全体が自然の猛威と脅威に為す術を知らず呆然となり、原子力という科学技術の落とし子の無軌道ぶりに殴り殺されそうになっている状態だ。活路はありや。別な選択肢もあるだろう。血路は開かれるのだろうか、自らの生を含めて他人事ではない。

 地球の雲が宇宙線の飛来と関連しているように私という個人も日本という国家の中で棲息していて言語的にも経済的にも文化的にも環境的にも経済原則などを通じて国際社会と関連している。同様に私という個体も太陽系の一惑星上の生き物として宇宙と関連しているだろう。法華経の譬喩品を読んで魑魅魍魎も登場し何やら壮大なSF映画でも観ているような法華経世界や釈迦に続く幾人かの大乗仏教の大思想家たちは人の心身を通して科学とは異なる回路で宇宙の何かを直感的に察知して釈迦の教えと思想を敷衍させたようにも愚考するのだがどうだろう。最近少しずつ読んでいる親鸞の「教行信証」でも仏典がしばしば引用されるが、それを親鸞の思考を通して読むと、また異なる興趣を感得する。それは道元でも日蓮でも同じである。

 山折氏が質問に答えてユダヤ・キリスト教と対比して語った仏教の教えが万能でもあるまい。しかしそこには先人達の思考、思索の粋とでもいう記述が豊饒に蔵されていることは間違いない。古人の書き残した文の一行、一行にそれを読み取る。戦後復興を果たした日本人は津波の後も屍を越えて復興するだろう。しかし原発はどうか。科学技術のもたらした災禍は明治の足尾鉱毒事件、昭和の水俣、今回の原発事故となって国民を超えて人類に及んでいる。その行く末は先のブログで引用した梅棹忠夫氏が譬えたように「科学」は人類が追う「業」なのかもしれない。しかし認識はともかく、問題は生存を賭けた解決作である。

 昨年から読み出し年明けに読み終えた「苦海浄土」の石牟礼道子さんや共闘した渡辺京二氏の著作、五木寛之氏も引用されていたレイチェル・カーソンの「沈黙の春」、足尾鉱毒被災民を救おうとする田中正造の生き様、有吉佐和子の「複合汚染」は此の世に棲むことの何たるかを抉り取って余りある。秋葉原界隈を跋扈する若者達の姿を見れば何の此の世は快楽だよと言わんばかりである。しかし既にその姿と現象には奇形を介して退廃と虚脱、苦悶が垣間見えていると思えるのは錯覚だろうか。

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