« 松井冬子展 | トップページ | タナトス »

2012年1月28日 (土)

松井冬子展(続)

 今回の個展の作品群のタイトルを展示順に幾つか辿ることで松井(以下、敬称は略させて頂く)作品の独自性に踏み込んでみよう。<第1章 受動と自殺>の中では芸大卒業制作以来継続している「世界中の子と友達になれる」のほか、「切断された長期の実験」、「たちどころに破れた異物」、「なめらかな感情を日常的に投与する」、「絶え間なく断片の衝突は失敗する」、「供儀の暴力」、「体の捨て場所」、が観る者に様々な刺激を掻き立てる。

 <第2章 幽霊>の「優しくされているという証拠をなるべく長時間にわたって要求する」、「足の皮を引きずり歩く」、「腑分け図:頭髪」も作品と呼応して実に松井の関心のありかを想像させてくれる。

 <第3章 世界中の子と友達になれる>は平成13年に制作された写生と下図を集めて、松井が如何にこの作品に周到な準備をしたか、という過程を垣間見ることができる。それは現在まで継続されている。「不幸な現存在の三つの形態」、「ややかるい圧痕は交錯して網状に走る」(平成20年)がそれを証している。

 <第4章 部位>以下の作品は平成15年から平成23年にいたる松井の精進が展望できる。その中には「陸前高田の一本松」という団扇に描かれた北斎、広重の浮世絵に挑んだとも思える作品も興味深い。それは今度の震災に絵描きとして何か描かなければならない、という気負いも感じる。

 <第5章 腑分け>は第4章から継続される松井の人間の身体に対する独特で強烈な関心を表出している。それは子を産む女体の不可思議さへの関心ともいえる。それはグロテスクといった皮相な批判を超えて、松井の人間という生き物への飽くなき関心の所在を表現している。それはリアリズムという用語で、とりあえずは説明できるであろうが、その本質は作品に接すれば、繊細で微妙な松井の視線と精神の在りかを想像させる。

 <第6章 鏡面>のタイトルも松井らしい。「この疾患を治癒させるために破壊する」、「従順と無垢の行進」。<第7章 九相図>は松井という作家が新たな境地に踏み込んでいるという期待も感じた。

 いずれにしても、もう一度足を運び、作品に正面して更に松井の作品の豊饒と可能性に接してみよう。

|

« 松井冬子展 | トップページ | タナトス »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/53842382

この記事へのトラックバック一覧です: 松井冬子展(続):

« 松井冬子展 | トップページ | タナトス »