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2012年1月 9日 (月)

成熟しない芸とボンボンたちの共通点

 昨年亡くなった立川談志をマスコミは天才の死と惜しんでいるが、そのような戯言にアカショウビンは与しない。談志なんてチンピラ芸人の一人としか思わない。若い頃からほとんど聞かず嫌いだからファンの諸氏には恐縮。ただ聞かず嫌いでは批評はできない。先日「らくだ」と高評の「芝浜」をレンタルCDで聞いた。しかし納得できなかった。この数年は以前にあまり聞かなかった円生をよく聴いてきた。それは志ん生と共に話芸の頂点である。そのような芸を楽しめれば談志など聴かなくともよい。眠れぬ夜に名人たちの案内で笑いの世界へ誘われていくのは何とも至福の境地と言ってもよい。談志が志ん生や円生と比べてつまらないのは歳をとり彼らの芸のような成熟がなかったからだ。成熟した芸というのは落語の世界に限らない。先ごろ堪能したウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを見聴きして痛感したのは高齢の楽員、演奏家たちが多いことである。若い優秀な演奏家たちを集めれば優れたオーケストラができるわけではない。ベルリン・フィルとの違いの一つは、そのようなところにもあるだろう。とかく世間からは疎まれがちな中高年たちだが落語の世界で横丁のご隠居の存在は不可欠である。自らはさておいて、人は成熟する生き物である、という命題の真偽を考察しなければならない。三人の噺家の録音を聴いてそう思う。

 それは政治の世界も同じである。二代目、三代目たちがデカイ面して横行する我が国の政治状況は憤りを超えて呆れるしかない。そんな状況に学者、インテリたちがもっともらしい論説を吐く現状は茶番を超えて喜劇としか思えない。既に国庫は火の車にも関わらず独自の活路が見い出されない此の国の将来は暗澹としている。

 年末から新年にかけてお笑い番組やNHKの真面目な番組までアレコレ見たけれども興味深かったのは宗教学者の山折哲雄氏が福島の現状を含めて現今の窮状を法華経の譬喩品を引いてユダヤ・キリスト教文明との違いを強調していた話だった。氏はノアの箱舟に象徴される彼の宗教の選民思想と対比させて譬喩品で説かれる火宅の中の三車一車の喩えを例にとり、一部の人だけでなく全ての人を救おうとする思想を讃する。その詳細は近いうちに再考しよう。

 最近、五木寛之氏が「下山の思想」という著書を上梓した由。これは親鸞、法然、日蓮、道元たちが比叡山で学を修めたのち山を降り世間へ出て衆生済度を実践したことを再考せよ、という主旨の本ではないかと推察する。であれば、その言や好し。

 ところで談志である。数年前に柳家小三治師の高座を池袋で聴いた。そのとき師は、まくらで志ん朝、談志の姿が彷彿とするような話をした。ある飲み屋に小三治師と談志がぶらりと入ったら志ん朝が一杯飲みながら食事をしていたそうである。すこし離れた席で二人は飲んでいて、そのうち談志が聞こえよがしに「美濃部はようー」と志ん朝をからかったそうだ。志ん生の倅、志ん朝の本名は美濃部である。小三治師は、よしなさいよ、くらいのことは言っただろうがチンピラ芸人の談志はライバルを露骨にからかった。その三人の対比にアカショウビンは納得したのである。三人の中でもっとも成熟した芸域に到達しそうなのは今や小三治師であると確信する。

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