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2011年12月17日 (土)

アンダンテ・クアジ・アレグレット

 ブルックナーの第4番交響曲はかつて「ロマンティック」と称されていた。アカショウビンがこの作曲家の存在を知ったのは学生時代にカール・ベームが指揮したウィーン・フィルのレコードだった。音楽雑誌の推薦ということで買ったレコードには何とも新しい世界との出会いが望見された。三畳の下宿で聴いた音楽はバッハの世界と共にモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスに加わり、現在まで此の世の音として聴く楽しみのひとつとなっている。

 先日、吉田秀和氏の論考をまとめた「フルトヴェングラー」が新書で出たのを知り面白く読んだ。かつての論考をまとめたものだが氏の文章に啓発されて幾つかの作品を聴き直している。時節柄ベートーヴェンの第九もバイロイト盤を眠られぬ夜に久しぶりに聴いた。アカショウビンが高校生から大学時代に聴いた指揮者の中でフルトヴェングラーは別格だった。吉田氏や他の音楽批評家たちの奨めで他の指揮者たちのレコードを聴き込んでいったのだが、もう一人の別格に遭遇した。それがハンス・クナッパーツブッシュだった。彼がウィーン・フィルを指揮したレコードはベーム盤と違いモノラル盤だったがブルックナーの音楽の全体を把握した人の隅々まで作品を知悉している指揮者の演奏としてフルトヴェングラーに優るとも劣らない。以来あれこれ聴き続けている。

 本日はこの3週間、久しぶりの休日で衝動的に4番をベルリン・フィルを指揮した1944年盤で聴いた。ブルックナー特有の巨大なうねりの如き世界をクナが自在にベルリン・フィルを駆使している。時はあたかもドイツの敗北が自明のものとなった頃である。聴衆は戦禍のなか音楽に全身を集中させ国家の没落を経験していた筈だ。稀有の指揮者と最高のオーケストラの演奏に身を浸し、自らの存在と国の興廃に思いを錯綜させていただろう。本日は標題の2楽章の或る箇所に実に生き生きとした音楽の躍動を聴き取り激しく共感した。聴衆にとっても指揮者や楽員のひとりひとりにとっても戦火の彼方に国の行く末を思うひと時であったにちがいない。その貴重を録音の彼方に聴く思いだった。

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