« 沖縄と信州 | トップページ | ブータン シボリ アゲハ »

2011年11月13日 (日)

TPPを考察する

 遅まきながらTPP(環太平洋連携協定)を改めて考えてみる。アカショウビンは大新聞で使われているパートナーシップという直訳を使用しない。そこには偽善的な響きを聴き取るからだ。昨年からこの制度については現在の仕事とも関連して多少の賛否論説に眼を通してきた。その結果アカショウビンは、とりあえず反対論派である。その根拠を求めれば、昨年から今年にかけて長野県を仕事でまわり信州の自然とそこで生きる人々の姿を見たことによる。また昨日はF市の産業祭りに行く途中、北関東に広がる農地も眺めた。 

 北関東の大地に広がる農地は農水省が進める大規模農業にもかなう地理的条件だろうが、それで果たして10年間で衰退に歯止めがかかるだろうか?無理だろう。<自由競争>という仮構は良くも悪くも現実との溝は限りなく深いと見るのが冷静な判断だろう。であれば戦争で破れても残った山河の恵みとして大切に育て守り次の世代に渡すのは現在を生かし生かされる者として生きる日本人の責務というものではないか?

 戦争で敗れても戦勝国に次ぐ大国に復興した。その過程で良くも悪くも米国とは保守論客たちが奴隷的安逸の夢を正夢のように国民に説き聞かせる論説には虫酸が走る。その卑屈とも胡乱とも見える目付きには心身に憤怒が満ちてくる。

 関税を撤廃した自由競争という理念とも理想とも大義とも正義とも説かれる論説の隠蔽しているものがある筈だ。

 保田與重郎の論説に倣えば、稲作文化は文明史的規模を有する画期的な意味をもっていた。時を超えて我々は改めてその論考を熟考しなければならない時に直面している。我々は再び稲作文明と小麦文明の新たな抗争に直面していると思われる。それは人類史的視野を有する。もちろん狡猾なキツネの如き米国が、それを前面に押し出してくることはない。しかし国家は国民の利益と別に資本主義の際限ない欲望を御しかねて国家的脱線を重ねている。その所業は9・11の後でチョムスキーが告発した。それでも性懲りもなく掲げるのが彼の国の大義であり正義なのだ。ベトナム、アフガン、イラクと軍事産業の経済原則と相身互いで支配欲を満たしてきたのが米国という軍事国家なのだ。そこで新たに世界史的考察の領野を切り開き思考しなければならない。

|

« 沖縄と信州 | トップページ | ブータン シボリ アゲハ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/53239068

この記事へのトラックバック一覧です: TPPを考察する:

« 沖縄と信州 | トップページ | ブータン シボリ アゲハ »