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2011年11月19日 (土)

ブータン シボリ アゲハ

 10月下旬頃に新聞報道で70数年前に英国の調査隊が発見した蝶を日本の調査隊が再発見したという記事を見て心がときめいた。それからしばらくしてNHKテレビでドキュメンタリー番組で幻の蝶というタイトルで映像を見た。日本の撮影クルーがブータンに入ったのは8月だから、その時点で既に蝶の確認は出来ていた筈だ。ところが新聞報道は10月に初めて確認されたかの如き報道だった。それは何かの事情があったのだろう。よくあるマスコミ報道のいかがわしさの如きもので、それはそれで追求する必要を感じるが、ここではさておく。

 もちろん、これはブータン国王夫妻の来日報道などとも殆ど関係ない。アカショウビンの少年の頃の心のときめきが蝶の動きや姿を見ることで中年を過ぎ日々の労働に酷使されるなかで久しぶりに記憶を手繰り寄せる衝動に駆られたに過ぎない。

 その蝶の動きは何とも遅く、危険から逃れるという生物の本能に鈍感ないらだたしさを覚えたのは正直なところである。喩えて言えば、我が国の王朝時代の宮廷貴族たちが民百姓の生きるための辛苦をよそに色恋や芸事にかまけていた姿を妄想したと言ってもよい。それは優雅という言葉で形容してもよかったからだ。研究者や愛好家たちに捕獲され殺されることを知らずに舞う姿は、いじらしくも哀れだ。

 奄美では蝶のことをハベラ、アヤハベラと言い神の化身と見做していたということは島尾ミホさんの語りで初めて知ったことである。ミホさんが亡くなる前の映像作品の事はかつて書いた。であれば、少年の頃のアカショウビンは神をひたすら追うことにひと時の熱情を捧げていたということになる。

 ブータン シボリ アゲハの姿は奄美の蝶の姿を久しぶりに想い起こさせた。蝶採集に夢中になっていた頃にアカボシゴマダラという本土には恐らく棲息しない南方型の蝶が群生し乱舞する姿が明滅する。その赤色はブータンの蝶の赤より濃く鮮烈だった。動きは同じように無垢とも言えるものだった。そのうち何頭かを捕獲した筈だ。蛇足だが蝶は匹でなく頭で数える。パラフィン紙に包み三角缶という箱に収めるまで蝶の腹を指で押さえ圧殺する。その感触に生き物を殺す後ろめたさは多少あったかもしれない。しかし教師は蝶はそのように殺すものだと教えた。小学校を卒業し中学生になると勉強も忙しくなり蝶採集で山に入ることもなくなった。採集した蝶を展示する箱も土に埋め生き物を殺したことを悔いた。生き物を殺すことを教師から教えられた事とは異なる疑いを持つようになったからだ。子供心は変化し良心とか倫理感も目覚めてくる。人という生き物も蝶や植物のような生き物と形は違えど同じようなものではないか、という思考は未だに継続しているがそれほど明確にはなっていない。

 

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2011年11月13日 (日)

TPPを考察する

 遅まきながらTPP(環太平洋連携協定)を改めて考えてみる。アカショウビンは大新聞で使われているパートナーシップという直訳を使用しない。そこには偽善的な響きを聴き取るからだ。昨年からこの制度については現在の仕事とも関連して多少の賛否論説に眼を通してきた。その結果アカショウビンは、とりあえず反対論派である。その根拠を求めれば、昨年から今年にかけて長野県を仕事でまわり信州の自然とそこで生きる人々の姿を見たことによる。また昨日はF市の産業祭りに行く途中、北関東に広がる農地も眺めた。 

 北関東の大地に広がる農地は農水省が進める大規模農業にもかなう地理的条件だろうが、それで果たして10年間で衰退に歯止めがかかるだろうか?無理だろう。<自由競争>という仮構は良くも悪くも現実との溝は限りなく深いと見るのが冷静な判断だろう。であれば戦争で破れても残った山河の恵みとして大切に育て守り次の世代に渡すのは現在を生かし生かされる者として生きる日本人の責務というものではないか?

 戦争で敗れても戦勝国に次ぐ大国に復興した。その過程で良くも悪くも米国とは保守論客たちが奴隷的安逸の夢を正夢のように国民に説き聞かせる論説には虫酸が走る。その卑屈とも胡乱とも見える目付きには心身に憤怒が満ちてくる。

 関税を撤廃した自由競争という理念とも理想とも大義とも正義とも説かれる論説の隠蔽しているものがある筈だ。

 保田與重郎の論説に倣えば、稲作文化は文明史的規模を有する画期的な意味をもっていた。時を超えて我々は改めてその論考を熟考しなければならない時に直面している。我々は再び稲作文明と小麦文明の新たな抗争に直面していると思われる。それは人類史的視野を有する。もちろん狡猾なキツネの如き米国が、それを前面に押し出してくることはない。しかし国家は国民の利益と別に資本主義の際限ない欲望を御しかねて国家的脱線を重ねている。その所業は9・11の後でチョムスキーが告発した。それでも性懲りもなく掲げるのが彼の国の大義であり正義なのだ。ベトナム、アフガン、イラクと軍事産業の経済原則と相身互いで支配欲を満たしてきたのが米国という軍事国家なのだ。そこで新たに世界史的考察の領野を切り開き思考しなければならない。

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2011年11月 5日 (土)

沖縄と信州

 高校の英語教師をしている友人のN君は修学旅行で沖縄に来ている、と携帯で話した。こちらは仕事で信州・佐久から安曇野と回り、N君に佐久や安曇野の景色や食べ物の話でも伝えて羨ましがらせてやろう、と思ったら、あちらのほうが面白そうでがっかり。生徒を引率して忙しいようで碌に話もできなかったが、近いうちに詳しい話を聞けるだろう。沖縄で何を見るのか知らないが普天間の現場でなくとも基地の町を目の前にすれば高校生たちも様々な刺激を受けることだろう。それは生徒たちだけでなく、N君や同僚の教師たちも同様だ。沖縄出身の同窓生H君は一昨年、大阪で久しぶりに会った時に、基地の町という実態は、軍用機が頭上を飛び交う現地に住んでみないとわからないよ、と何やら深い悟りを会得した風情で話していたのを思いだす。  

 一方、こちら信州は北アルプスの景観など風光明媚でかつての小学唱歌に歌われた日本の原風景のような場所だ。地獄の戦禍を経験し、いまだ米国の支配から逃れられない沖縄と信州の対比は、言うまでもなく沖縄の現実のほうが現在を生きる日本人には重く喫緊の問いとして返ってくる。信州の地で日本の農業の現実と将来を土地の人々の生の声として聴くことは、しかしながら食の現在と将来に愚考を巡らす時でもある。信州と沖縄の歴史と現実で共振する幾つかの論点がある。TPP(環太平洋連携協定)も野田政権は参加するらしい。唯々諾々と宗主国の罠にはまる如き姿は情けなさを超えて憤るしかない。N君の沖縄の旅の感想を楽しみにしながら。

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