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2011年10月21日 (金)

事実と隠蔽

 早朝のラジオでカダフィが殺害されたようだ、とのアナウンスを聞いた。毎日新聞の見出しは「カダフィ大佐死亡」である。或る事実が文字として記述される時に位相が変換される。そこには或る意図が隠されている。それは醜悪な事実に対する修整であり修正である。そのいかがわしさはマスコミという一つの権力が<国家>と酷似する瞬間だ。正義や公正という、いかがわしい立場に彼らは依拠する。その文言は敢えて記述された文字と言ってもよいが、或る事実と現場の事実を伝え得ない。誰かがあるいは複数の人間が一人の人間を殺した事実は人間という生き物の不気味さである。それでも文字は事実を伝えようとする。そこには幾層もの階層が有るだろう。しかし「死亡」といったある事実を隠蔽する表現となって曖昧に暈される。ウサーマ・ビン・ラーディン(ウィキペディアの表記に倣う)も殺された。何という無法、野蛮だ。その禍々しさに慄然とする。しかし、これが<国家>や<人間>と総称される概念や存在の実態なのだ。ウサーマやカダフィを殺した米国、リビアの殺害者(たち)は国家の地域性や個人を超えて人間という生き物の仏教でいう<業>を髣髴させるではないか。

 リビアの内戦の過酷を我が国は幕末から西南戦争で経験している。それが所を変え時を超えてこの惑星に現出する。この「憎しみの連鎖」と称され繰り返される事態を人間たちは乗り越えられるのだろうか?ハイデガーが歎異抄を読み平和の礎となる教えと見做した両者の思索を我々は改めて辿らなければならない。それは所を変え時を超えて深甚な思索を続けた二人の思索が「憎しみの連鎖」を断つ可能性を秘めていると思われるからだ。

 

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