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2011年10月18日 (火)

異族と異神

 ハイデガーが親鸞を「聖者」と見做した論拠と直感は欧米の歴史で根幹的な主導思想として現在まで続くイエスとその弟子たち、そしてイエスの言説、思想、生き様の継承者たち、その後のエックハルトはじめ宗教者とカント、ショーペンハウエル、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ニーチェ他の先達の哲学者たちへの思索から生ずるものだ。現在のこの惑星の支配者として君臨しているように見える米国と敗戦国の我が国の現在を経験し傍観すればハイデガーの思索が現在の世界情勢への射程を含むものとして再考・熟考を促す。

 1920年代にハイデガーが『存在と時間』に収斂する思索と政治状況は現在の世界情勢にも通底する。我が国の政治状況は当時のドイツと近似している。米国の民主主義、ポピュリズムとソビエトのコミュニズムの万力に締め付けられるドイツと日本は。中国という中華思想を引き摺る東洋の大国とこの惑星最大の軍事国家に突出した米国という戦勝国の支配の狭間で日本という国家は将来を展望し選択する土壇場で汲々としている。かつての敗戦国として現在の沖縄の現実と人々の声、TPP(環太平洋経済連携協定)に纏わる政治状況を垣間見れば愚考を促す。政治的に見れば此の国は保守論客の指摘する敗戦国としての米国の属国という冷笑の域を超えていない。恐らく野田政権はオバマに隷従するだろう。しかし欧米主導の「正義」に対抗する国家としての真っ当な異義は政治屋たちにはない。ではマスコミや論説家達にはあるのか?アカショウビンには詳らかではない。

 そこで熟考し新たな問いを提出するためにはハイデガーが〝存在の忘却〟として指摘し生涯をかけて思索した言説・論説を辿ることが実に示唆的なのである。それはヒステリック、無関心、一時的な激情に流されることなく熟考しなければならない根源的な思索と思われるからだ。その主題はとりあえず「異族と異神」と集約しよう。我が国では沖縄に収斂し象徴化されている国家という体制の軽薄と苛酷という現実と西洋・中東の一神教の神と今や再生を危ぶまれる債務国として凋落しているギリシア、我が邦の八百万の神々の抗争として。

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