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2011年10月15日 (土)

匂いのある日本人

 友人のI君からYou Tubeに下記のようなものがあると知らされて見た。教団の宣伝映像のようであるがハイデガーの覚書などの類から引用したものと思われる。いずれ出典に出会う機会があるだろう。それはともかく、ハイデガーが英訳で親鸞の「歎異抄」を読んだことは事実のようであるので書き留めておく。映像では段落で区切っているが随時文章に句読点をつけて繋げ読みやすく(?)したことをお断りする。

 今日英訳を通じてはじめて東洋の聖者親鸞の歎異抄を読んだ。もし10年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話を聞いて世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。だが遅かった。(これに続く箇所があったようにも思われるが次の文章に続く)

 日本は戦いに負けて今後は文化国家として世界文化に貢献すると言っているが、私をして言わしむれば立派な建物も美術品もいらない。何もいらないから聖人のみ教えの匂いのある人間になってほしい。商売・観光・政治家であっても、日本人にふれたら何かそこに深い教えがある、という匂いのある人間になってほしい。そしたら世界中の人々がこの教えの存在を知り、フランス人はフランス語を、デンマーク人はデンマーク語を通じて それぞれこの聖者のみ教えを我がものとするであろう。その時、世界の平和の問題に対する見通しが初めてつく。21世紀文明の基礎が置かれる。

 これが何年頃のものなのか説明はない。しかし「遅かった」と嘆じているから戦後から晩年にいたる間のものである。ハイデガーは若い頃から現在のドイツでは神秘家と見做されているらしい中世のエックハルトに強い関心を持っていた。そのような素養から親鸞の言説に直感的に共感したのかもしれない。九鬼や周辺にいた日本人たちから親鸞はじめ日本の宗教者、思想家の話は聞いていただろう。道元の有論、時論を介して我が国のインテリたちはハイデガーを道元と関連して論じる人が多い。アカショウビンもそのような風潮の中で両者を読み続けている。しかし親鸞とハイデガーに共通する思想があるように思われる。ハイデガーは「シェリング講義」でシェリングの〝悪の形而上学〟を論じている。それは親鸞の思想と東西で悪に対する異なるアプローチとして面白い。しかし〝匂いのある〟という表現がハイデガーらしくてよろしいではないか。吉本隆明(敬称は略させて頂く)や野間宏の唯物論者たちの読み方から浮かび上る親鸞像は優れた〝思想家〟というものだ。また吉本、野間の両者が重要視している「教行信証」の英訳があるのかどうか知らないが、それを読めばハイデガーの新たな親鸞論が展開されただろう。〝存在を忘却した〟西洋の歴史の果てに生きる者として老荘や禅をはじめ東洋思想との対決を強く意識していたハイデガーが無批判に親鸞を賛嘆しているのも周辺の日本人たちへの外交辞令のように思えなくはない。それはともかくハイデガーの論説の一行、親鸞の一行に接しながら娑婆の時間を少しくらいは意味あるものとして体験し死に至ろう、という衝動に駆られるハイデガーの親鸞評価ではある。

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