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2011年10月29日 (土)

追悼と回想

 仕事先で見た夕方のテレビ報道で北 杜夫(以下、敬称は略させて頂く)が亡くなられたことを知った。それほど熱心な読者でもなかったが中学1年の時に読んだのが「船乗りクプクプの冒険」だった。読んだ理由が何だったか思い出さない。氏が昆虫採集好きだったということがあったかもしれない。アカショウビンは小学校の時の将来の夢が昆虫学者だった。ファーブル昆虫記は夢中になって読んだ。小学生には少し難しそうな単行本の全集だった。そこで将来の夢はファーブルのように昆虫の研究をして生きたかったのだ。昆虫といってもアカショウビンの場合は蝶一辺倒だったが。小学校5年と6年の頃は蝶採集に本当に人生を賭けて(笑)いたのだ。奄美が終焉の地になった画家・ 田中一村が棲んでいた場所は蝶採集の通過地点でもあった。そこはハンセン病の療養所があり地元の人々からは忌避されていた。採集仲間とはそんな話もしながら近くを通ったのだろう。画家が、そのような場所の近くに棲んだのは恐らく家賃が安いという理由かもしれないが他に理由があったのかもしれない。

 ところが中学入学の祝いに父にねだって天体望遠鏡を買ってもらい、6㎝の対物レンズの向こうに月と木星のガリレオ衛星、土星(そのころ土星の輪は消える年だったが)を見た時に将来の夢は昆虫学者から天文学者に宗旨替えした(笑)。中学生になると小学生の頃とは読む本も違ってくる。「船乗り~」は他愛もない作品だったけれども作者の父親は偉い文学者だ、などという知識を仕入れてくると茂吉の短歌なども読み出す。中学2年の時は東京の大学を卒業して教師に成り立ての国語が専門の担任のU先生の影響で生意気にもスタンダールなども読み出した。近くの図書館には島尾敏雄がいた。中学3年の担任も国語が専門のM先生で授業の時によく島尾の話をした。どんな人なのか興味もあり図書館に通い、その姿も垣間見た。何やら風采のあがらない普通のオジサンだな、というのが生意気な中学生の感想だった(笑)。天文学の本や物理学の初歩や小説の類もそこで借りてアレコレ読み出した。以来、北(以下、敬称は略させて頂く)という作家は気になる存在だったが父親の茂吉や友人の遠藤周作の作品のほうに興味は移り主要作品はいくつも読んでいない。

 その後、面白く読んだのはずいぶん後で、埴谷雄高との対談本だった。これは実に面白かった。埴谷は高校生の頃から読み出していて最も関心のある作家の一人だった。難解で知られる「死霊」は月刊誌に掲載されるのが楽しみだった。埴谷と北では作風があまりにも違いすぎて対談は水と油の違いのようなもので、どんな対談になったのか興味深々で読んだが実に面白かった。北も躁状態の時だったろうから埴谷の饒舌に負けず劣らず対抗したのだろう。埴谷は晩年まで「死霊」の完成に腐心していた。井上光晴を追った原 一男の「全身小説家」に出てきた埴谷の風貌と語りは面白く見た。独特の甲高い声で井上らと談じていた。埴谷は晩年まで饒舌で大往生のように聞いた。北は躁鬱が持病だったからどうだったか。しかし聞けば晩年までに茂吉の生涯を辿った著作も完成させたらしい。それなりに人生を完結させる仕事はやり遂げての一生だったのではなかろうか。

 というわけで追悼するというほどのご縁があるわけでもない。しかし中学生の頃に書物の世界に分け入るきっかけを頂いた恩義を感じて追悼させて頂くのである。84歳とはご長寿で何よりと思う。今やあの世で埴谷と妄想対談の続きを、遠藤に誘われてオペラの一曲でも、父茂吉と万葉集を改めて読みあっているのかもしれない。

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