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2011年8月 6日 (土)

一枚のハガキ

 新藤兼人監督の新作を観てきた。これを撮らずには死ねない、という監督の気持が溢れている作品だ。皮肉を言えば、鈴木清順監督が嫌う「何かを言いたがる」作品だ。と言うより全編、監督の言いたいことばかりだ。脚本家として仕事を始めた男は監督として独立する。大手配給会社が支配する業界で無謀な奴とも揶揄され、仲間達は危惧したことだろう。今にも潰れそうな独立プロは格安予算で撮りあげた「裸の島」(1960年)がソ連の映画祭でグランプリを受賞し息を永らえる。原爆を落とされた広島出身で、戦争の生き残りの監督には作品のモチーフに、それらの体験、経験が大きく影を落としている。徴用された100人のうち生き残った6人の一人として、死んでいった者たちに対する忸怩たる思いは氏のみのものである。若い頃は生真面目な作品の多かったという印象の強い新藤作品の新作には時に笑いもある。高齢の監督の茶目っ気が微笑ましい。

 酷なことを言えばキャスティングと出演者たちの演技に山ほどの文句をつけたい。監督がもっと若ければ厳しいダメ出しをしただろうに。主演の大竹しのぶ(以下、敬称は略させて頂く)はまるで農家の嫁らしくない。またその演技は舞台でシェークスピア劇かギリシア悲劇を演じているようだ。それが演出だとしても違和感を覚えた。出演者で文句のつけようがないのは柄本 明と津川雅彦くらいだ。他はもっと異なるキャスティングと演じ方があったと思う。それでも林 光の音楽は映像と共に見事な効果を出していた。「裸の島」以来の阿吽の呼吸というものだ。作品が収束に向かうところの主演者たちが水桶を担ぐシーンは明らかに「裸の島」の夫婦の姿を再現している。そこに監督の映画作家としての生涯の起承転結が織り込まれている。それが幾つかの不満を超えて全編を通じ見るに値する仕上がりと思う理由でもある。 

 監督は、これが最後になる、という作品を完成させた。その意気や天を突くが如し。この国が思い出したように歴史を振り返る夏に間に合わせた思いを日本人は全身全霊で受けとめなければならない筈だ。

 8月6日は広島出身の新藤兼人という映画人が公私を超えて想起せざるをえない日なのだ。作品には短く原爆のカットが挿入されている。その映像に想像力と現実の生を介し少しでも肉薄したいと思う。

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