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2011年6月12日 (日)

限りある身の力試さん

 年初より恩師、知人の訃報が続き暗澹たる思いに浸される昨今である。先日は仕事関連の方の葬儀で長野県の飯田へ日帰りした。その後、5年ぶりに健康診断を受け精密検査の必要を言い渡された。恩師や後輩の死に接しアカショウビンの人生は既に死の覚悟を促される如きものである。先日は弟からガンの疑いを告げられた、と電話があった。いつの間にか怠惰な日常に流されていた生活に痛棒を食らわせられた思いに突き落とされた。娑婆での生は人それぞれである。繰り返すけれども人間50年生きられれば十分と思う。

 そこで思い起こされる言葉を記憶の彼方から探った。「憂きことの尚この上に積もれかし、限りある身の力試さん」という文言が蘇った。江戸期の儒者、熊沢蕃山の言である。この歌の響きが日常のなかで明滅する。それは苛酷な娑婆生活の中で探り想起され怠惰な日常を叱咤した。困窮と窮境は人を試す。そこで人の究極とでもいう姿が現れる。それは我が身に跳ね返り己に痛烈な問いを迫る。

 果たして我々は、窮境で己の力を試すことができるだろうか。電話の声で弟は淡々と気持を伝えてきた。気弱な兄としては困惑ばかりが先立ち愚痴の如き言葉しか発せなかったのが情けなかった。しかし覚悟の時間はある。そこで何事かの了解が生ずる。アカショウビンとて同じである。母の死はそうであった、と兄弟は納得し話した。弟よ、願わくば、我らが母のような死を迎えよ。先か後か知らぬが兄も続く。

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