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2011年6月29日 (水)

火のごとき孤独

 塚本邦雄が逝って7年が経つとは今朝の新聞記事で知ったことである。記事は塚本の作品を幾つか引いているが「五月祭の汗の青年病むわれは火のごとき孤独をもちてへだたる」が当時の世相と歌人の内面を文字にして痛烈だ。

 歌人でなくとも人は火のごとき孤独を抱えて生きる生き物であろう。その孤独を共有することは一筋の回路を探すような労苦が必要と思われる。しかし、それをもってしても、それが「共有」されるかどうか定かではないような心細さに陥る。

 火のごとき孤独があるなら水のごとき孤独もあるだろう。記事にも書かれているが塚本の真骨頂は「鮮やかなレトリック」だ。アカショウビンも若い頃に塚本作品の鮮やかとも痛烈とも言えるレトリックに刺激された。その評論も面白かった。作品と共に戦後の世相を冷徹に見抜いていた批評家でもあった。

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