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2011年6月29日 (水)

火のごとき孤独

 塚本邦雄が逝って7年が経つとは今朝の新聞記事で知ったことである。記事は塚本の作品を幾つか引いているが「五月祭の汗の青年病むわれは火のごとき孤独をもちてへだたる」が当時の世相と歌人の内面を文字にして痛烈だ。

 歌人でなくとも人は火のごとき孤独を抱えて生きる生き物であろう。その孤独を共有することは一筋の回路を探すような労苦が必要と思われる。しかし、それをもってしても、それが「共有」されるかどうか定かではないような心細さに陥る。

 火のごとき孤独があるなら水のごとき孤独もあるだろう。記事にも書かれているが塚本の真骨頂は「鮮やかなレトリック」だ。アカショウビンも若い頃に塚本作品の鮮やかとも痛烈とも言えるレトリックに刺激された。その評論も面白かった。作品と共に戦後の世相を冷徹に見抜いていた批評家でもあった。

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2011年6月25日 (土)

昭和20年の沖縄

 戦闘は終わっても地獄はそこここで現出していた。それは沖縄の現在に生きる人々が伝えている。新聞は23日を過ぎて歴史を忘れ新たな対象に飛びついている。震災、原発、放射能、政争と話題には事欠かない。しかし、現在の日本の繁栄と病弊、「天罰」が沖縄を犠牲にした上に築かれた、と回顧する論説に責任を持つなら、あるいは、そのような論説など知らぬところで我が世の夏を謳歌することに狂奔するなら国家と国民の存続などというものは虚像と虚構と幻想である。沖縄戦の戦闘の地獄は次のようなものである。無断引用で恐縮だが転載させて頂く。

 >夜、喜瀬武原の林道で、(照明弾で)突然明るくなって、明るくなると銃弾が撃ち込まれよったが、右足に貫通銃創を負った。(ふくらはぎの)肉を撃ち抜かれて、骨には当たらなかったから、身体障害者にならなくてすんだ。今も傷が残っている。
 足に触ったらヌルヌルする。臭いをかいだら血の臭いがした。弾が当たったと分かったら急に痛み出して、余りに痛くて立てなくなり、倒れた。他に子どもと女の人が撃たれた。子どもは尻から弾が入り腹の中で止まって、胃が破裂していた。
 (一緒にいた人たちが)三人を林道から民家に運んでくれた。翌朝、連れに来ると言っていたが、来ないのは分かっていた。子どもは翌朝死んだ。
 3日ぐらいして米軍がやってきた。最初は5、6名だったが、やがて30名ぐらいやって来た。様子を見て戻っていった。(残った)米兵が木を切ってきて、布団で担架を作って運んでくれた。
 最初は殺されると思っていた。ガムをくれよったが、もう丸飲み。米兵は親切だったが、中には睨みつける兵隊もいた。女の人も一緒だったから殺さなかったのかもしれない。一人だけだったら、あの睨みつけていた兵隊に撃たれていたかもしれない。捕虜になったのは6月の3日か4日だった。

 それは我が母が娘時代に祖父と共に徳之島から奄美大島の名瀬に渡る船が米軍機の攻撃を受けた時の船上の地獄でもある。「屠殺場のようだった」と振り返った記憶とそれは共振し記されている。

 国家の儀礼とは別に地元ではそれぞれの慰霊が行われているのをネットでは拝見できる。沖縄の地獄を踏み台にして二カ月の時を経て昭和20年、大日本帝国は二発の原爆で、この惑星に生じた新たな「科学技術」で新たな殺戮を経験し敗北したのだ。

 震災も原発事故も天災と人災の事実と負い目として国民が背負う歴史事実である。

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2011年6月22日 (水)

祈りと信の本質

 早起きは三文以上の得である。今朝起きていつものようにテレビを音なしでアレコレ観ていると外国の合唱団の映像に眼が止まった。音を出すと何と「黒い瞳」である。久しぶりにこの名曲を美しいハーモニーで聴いた。それは祈りの如きのものである。字幕でモスクワの国立合唱団であることが知られた。オペラでもロシアのバスやバリトンは定評のあるところである。続いてラフマニノフの初期の宗教曲。それはロシアの風土と歴史に根差した音と人々の姿と声だ。自ずと記憶が呼び戻されロシアの映画作品やラフマニノフの他の作品が脳裏に明滅する。かつて業界の研修旅行で初めて訪れたウラジオストクの街と人々の姿も思い出された。そのころロシアは経済的な苦境にあった。ナホトカの日本人墓地の白い墓標や訪れた教会の入り口で物乞いする老婆の姿や芸人達はドストエフスキーの小説で出会った人々の生の姿だった。それは存在論というフィルターを介せば、人間という存在がこの惑星で現象する様々な事実の一つである。

 この数か月、この国や世界は辺見 庸の言う「宇宙のクシャミ」に表面上は震撼されている。いずれ、それも忘れ去られ再び「宇宙のクシャミ」が発されるだろう。その繰り返しの中に人類は生存してきた。それもいつか絶える時が来る。それは死という現象で予兆され予期される。死する人の姿から残されて生きる人々はいつか来る自らの死を想定し喜怒哀楽の過程で祈る。

 吉本隆明が「最後の親鸞」で考察し思索した親鸞が「信」という漢語に含まれる意味を追求した思索は引き継いで考察しなければならない。信ずる、信じると使われる言葉の全容はかつて親鸞という人が隈なく考え尽くしたと学者や小説家、思想家は説く。それは現世を生きる者として宗教や思想を超え死にゆく者としてアカショウビンも思索したいと欲するのである。親鸞は「欲望から出発して、意識、自己意識、理性へとたどっていった困難な作業」(野間宏)を遂行した。それは世界史ではヘーゲルに先立つと野間は書く。吉本の思想もそれを踏まえているだろう。それは宗派的な垣根を越えて更に追求されるべき領域である。私的な窮境を経験しながら時に恩寵の如き時もある。それも怠惰な日常では阿呆のように忘れるのであるが愚考は重ねていこう。

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2011年6月19日 (日)

沖縄という磁場

 NHKが伊波普猷と弟子達の姿と言説・論説を主題にした番組を放送している。この碩学の存在は沖縄史のなかで燻し銀の如く輝いている。それは日本史と対立し屹立しているとも言える。人間存在の矛盾は現実として体験され記述される。伊波が有している学問と矛盾は歴史に生ずる痛切な声の如きものだ。それは奄美に棲んだ島尾敏雄の作品と思想も共鳴していると思われる。伊波の「古琉球」は島尾の「ヤポネシア」という概念として提起されたとも言える。それは論証する価値を有していると思う。伊波普猷が耽読した「おもろそうし」は保田與重郎の「万葉集」読解とも共鳴しているだろう。伊波が批判する花鳥風月を愛でるヤマトを保田はどのように受け止めたのだろうか。それは不協和音ではあってもハーモニーではないようにアカショウビンは思う。

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2011年6月12日 (日)

限りある身の力試さん

 年初より恩師、知人の訃報が続き暗澹たる思いに浸される昨今である。先日は仕事関連の方の葬儀で長野県の飯田へ日帰りした。その後、5年ぶりに健康診断を受け精密検査の必要を言い渡された。恩師や後輩の死に接しアカショウビンの人生は既に死の覚悟を促される如きものである。先日は弟からガンの疑いを告げられた、と電話があった。いつの間にか怠惰な日常に流されていた生活に痛棒を食らわせられた思いに突き落とされた。娑婆での生は人それぞれである。繰り返すけれども人間50年生きられれば十分と思う。

 そこで思い起こされる言葉を記憶の彼方から探った。「憂きことの尚この上に積もれかし、限りある身の力試さん」という文言が蘇った。江戸期の儒者、熊沢蕃山の言である。この歌の響きが日常のなかで明滅する。それは苛酷な娑婆生活の中で探り想起され怠惰な日常を叱咤した。困窮と窮境は人を試す。そこで人の究極とでもいう姿が現れる。それは我が身に跳ね返り己に痛烈な問いを迫る。

 果たして我々は、窮境で己の力を試すことができるだろうか。電話の声で弟は淡々と気持を伝えてきた。気弱な兄としては困惑ばかりが先立ち愚痴の如き言葉しか発せなかったのが情けなかった。しかし覚悟の時間はある。そこで何事かの了解が生ずる。アカショウビンとて同じである。母の死はそうであった、と兄弟は納得し話した。弟よ、願わくば、我らが母のような死を迎えよ。先か後か知らぬが兄も続く。

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2011年6月 8日 (水)

名人戦、最終局へ

  以下の記事はミクシイに書いたものの転載である。ミクシイには熱心な将棋ファンが二人おられるので共に名人戦を楽しんでいる。それにしても昨年は羽生の圧勝。今年は逆の立場で4局で終わりかと思っていたら名人がど根性を出してくれた。ど根性では失礼だ底力というべきだろう。さすが将棋の歴史でも傑出した名人である。最終局が楽しみだ。
 いやいや、何とも凄いことになった。山形県の天童で戦われていた羽生善治名人と挑戦者、森内俊之九段の名人戦七番勝負の第6局は羽生勝ち。何と3連敗後の3連勝である。3連勝の勢いの森内の歯車がいつのまにか狂ってきた。鉄壁の受けが羽生の攻めを封じられない。どうした森内?
 昨年に続き4局で終わる可能性もあったのだ。ところがアレヨ、アレヨという間に羽生が追いついた。さすが羽生である。将棋の「純文学」相矢倉で追いつき逆王手をかけた。将棋界の千両役者と言うしかない。
 仕事に追われ新聞を読む時間もとれず昨日の夕刊の途中経過で名人戦に気付いた。月曜日から静岡へ一泊出張。休む間もなく本日は長野へ。信州、安曇野は天気も良く汗ばむほどの陽気。昨年は秋に南の飯田から北の野沢温泉村近くまでレンタカーで走り回った。信州は春から夏の季節も気分が浮き立ちこれまたよろしい。木々の緑が眼にしみる。暑さに弱いワサビを陽の光から防ぐために網のかかったワサビ田も信州ならでは。NHKの朝ドラ「おひさまの」の舞台、安曇野は観光客が激増しているという話。こちらは観光どころでなくレンタカーでかけずり回りクタクタでホテルへ。
 さて名人戦は?とネットを見ると羽生勝ち。おぉー!さすが名人である。名人戦の最高の舞台で、竜王戦で渡辺に食らった3連勝4連敗の屈辱を森内に舐めさせるか。何ともシビレル展開になった。小生は羽生のファンというわけではない、将棋のファンなのである(笑)。そこで無節操・無責任に森内ガンバレ!と呼びかけよう。

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2011年6月 5日 (日)

辺見 庸氏の独白

 今朝のNHKテレビが辺見 庸氏(以下、敬称は略させて頂く)のインタビュー映像を放映していたのをたまたま見た。インタビューというより氏の独白の如きものだった。かつて放送された脳梗塞後のリハビリの姿は痛々しかった。大腸ガンの治療経過はどうなのだろうか。しかし言葉を選びながら、一語一語を噛みしめるような語りは刺激的で挑発的だ。 

辺見の故郷を襲ったこの大震災について氏は「宇宙の一瞬のクシャミ」が人類の破滅を齎す事を今回の震災は思い知らせた、と語る。氏独特の晦渋で執拗な思索を語る言説は実に興味深かった。アドルノの「アウシュビッツ以後に詩を書くことは野蛮である」という痛烈な洞察を引き、辺見はその言葉の重みを改めて計り探るように語る。それは報道記者、小説家という経歴を経て病に冒され小説の執筆が儘ならず今や詩を書き思索、考察する語りが何を伝えるのか見る者に問いを促す。

あの震災を語るマスコミの言葉に事態を語る本質的な言葉があるだろうか?と辺見は問い否定する。しかし、それでも忘我し、佇み、嗚咽、慟哭する人々に私は書くことでしか報えない、という誠実はこちらを刺激する。

未読の新作を読む前に2007年10月に出版された『たんば色の覚書 私たちの日常』の「あとがきのかわり」にと記された「痛みについて」から引用しておこう。

―私たちの日常とは痛みの掩蔽のうえに流れる滑らかな時間のことである。または、痛みの掩蔽のうえにしか滑らかに流れない不思議な時間のことである。日常を語るには、したがって、痛みを語るほかない。(p154)

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