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2011年5月 8日 (日)

光について

 朝のテレビで音楽番組をたまたま観ていたらサン・サーンスの「ナヴァラ」という作品をヴァイオリンで演奏していた。初めて聴く曲だ。スペインの地名だそうである。そこにアカショウビンは音から彼の地の光のようなものを感じ取った。スペインには行ったことがないけれども。イタリアで撮影した「ノスタルジア」という作品で監督のA・タルコフスキーはナレーションを介しモスクワの光を映像と音で表現していたのではなかったか。それは恐らく聖書の文言とも関連しているであろう。同様にスペインの光が音で表現されるのも幻聴だとしてもあるのではないか。

 先日、渋谷で開催されている展覧会で、お目当てのフェルメールの「地理学者」を観てきた。この数年で観た作品のなかでは「牛乳を注ぐ女」がもっとも強烈なオーラを発していた。「地理学者」はそれには及ばなかったけれども「光の画家」と称されもするフェルメールの特徴は看取できた。

 此の惑星で生きる動物も植物も光なくして生きられる生物はどれほどあるのか知らない。しかし陽の光は貴重である。冬の光から春の光、夏の光へ。アルコールの力を借りて(笑)、ヘロヘロ、ヨロヨロとなりながら外へ出て陽の光を浴びようではないか。

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