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2011年5月29日 (日)

四つんばいで現れた吉本隆明

 以下はミクシイに書いた記事の転載。あの精悍で屈強そうな吉本も足腰が弱り車椅子でなければ外出できないという。人間の老いと老いた人間について自らを省みて考える今日この頃である。アカショウビンには既にアルツハイマーの兆候も現われている。吉本の歳まで生きることは叶わぬだろう。しかし粛々と生を生き抜き死に至りたいと切に思う。
 5月27日(金)の毎日新聞夕刊に吉本隆明さん(以下、敬称は略させて頂く)に取材した記事が載っていた。吉本、健在を確認できたのは幸い。86歳になっても老いは強靭で頑固な思索力を衰えさせていない。病を抱えても真摯な取材には這いながらも応える。その誠実を言祝ぎたい。
 新聞社のテーマは「巨大地震の衝撃 日本よ!この国はどこへ行こうとしているのか」。インタビューの見出しは「科学技術に退歩はない」。
 記者が取材した大震災の現場(何処とは伝えていないが)の様子を「焼け野原のようでした」という話に吉本隆明は「おっしゃったような光景から東京大空襲を思い出します。友達を捜すために焼け野原を歩きました。~」と応じ、何かを訴えるように両手を動かす。以前に他のインタビューに応える吉本の姿や品川の倉庫で見た姿が思い起こされた。訥々と身振りを交え話す姿はナカナカ微笑ましく(失礼)好感がもてるのである。
 記者は1982年の『反核異論』を引用する。<(核エネルギー)の「本質」は自然の解明が、分子・原始(エネルギイ源についていえば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の党派とも無関係な自然の「本質」に属している。(略)自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即時的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である>
 その言や良し。理科出身の吉本の面目躍如だ。その後に続く文章で吉本の考えは30年前と変わっていない、と書き記者はさらに『反核異論』から引用する。
<知識や科学技術というのは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃的であろうが否定はできないんですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです>
 以下の記事は割愛するが吉本隆明の現在が垣間見えて面白かった。昨今のマスコミ、テレビ報道を散見するとウンザリもするが筋金入りの思索者の考察は、こちらの精神と意識を挑発する。

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2011年5月21日 (土)

娑婆に棲む日々

 学生時代から親しくして頂いているIさんは大阪に引っ越してからも録画したDVDを送ってもらっていた。アカショウビンの好きな音楽をわざわざ録画して頂き恐縮している。再び引っ越してからもDVDを送って頂き恐縮していた時に今度は葉書を戴いて驚いた。今年1月に胃ガンが発見され2月に手術したと書かれてあった。後日電話で詳細を知った。再発や転移は99%ないと言う医師の診断だったそうである。しかし患者の不安は医者といえど他人の診立てある。Iさんは、あと10年生きられるかどうか、とその後にDVDを送って頂いたなかにメモを記されていた。先日も10数枚のDVDを送ってくださった中に「東京直下型大地震が10年以内に70%の確率でくると聞きました。それまでに成すべきことをして死を迎えたいと思っています。『がんばろう日本!』は、もう、モチベーションが上がらない」と記されていた。

 先にも書いたが今年の1月には恩師とかつての仕事場での若き後輩の訃報を知った。恩師は8年間の闘病で67年の生涯だった。後輩はわずか32年である。寿命とはいえ死は酷い仕打ちと思えるように人を襲う。しかし死を覚悟できるのは或る意味で幸いとも言える。津波や地震で死ぬことは覚悟の死とは言えない。病での死は覚悟する時間が得られる死とも言えよう。人生50年生きられれば娑婆の何たるかを体験できたとも言える。アカショウビンの生は余生とも心得ている。しかし、天災や人災で亡くなる人々の姿を見れば、人の生死の様々に新たな覚悟もしなければならぬと思いもする。

 Iさん、お互い天災や戦争で死ぬこともなく50年余も生きられたことは幸いと思いたいね。心残りはいくらでもあるけれども天災や人災、戦争で若くして亡くなった人々からすれば十分に生きたとも言えるのではないかな。お互い余生がどれくらいあるのか心もとないけれども娑婆世界に棲む日々を心おきなく生きて最期を迎えたいと切に思いますよ。

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2011年5月10日 (火)

騒ぐ血

 先日久しぶりで会った学生時代以来の友人I君から戴いたDVDで徳之島版沖縄民謡「安里屋ユンタ」を聴き見た。地元のイベントで少女たちが踊りながら奏でる趣向である。歌に合わせて踊る姿は琉球舞踊の真髄が垣間見られた。高校時代の大阪の友人が沖縄女性と結婚し結婚式で琉球舞踊が披露され初めてナマで見た。また沖縄出身のオペラ演出家が亡くなり渋谷で追悼会が模様されたときにも琉球舞踊が演じられた。徳之島の少女は、その踊りの真髄とでも言える所作を受け継いでいた。島は違えど琉球文化圏の中でそれは本質的な同様の形というものがあるのだ。蛇皮線と囃子と太鼓。この三者が奏でる歌い継がれ踊り継がれた旋律と踊りには我が精神と無意識が反応する。血が騒ぐとも言える。少女達の姿と標準語は日本のどこでも見られる普通の女の子だ。しかし少女達は親や周囲の大人たち爺さん婆さん達から言葉や謡い踊りの所作を介して土地の歴史と魂とでもいうものを心身で習得していく。それは文化などという安っぽい概念ではない。島の、土地の中に染み付き受け継がれた人々の生死の痕跡を彼らは引き継ぐのだ。その貴重で掛け替えのない経験も成長するにつれ言葉は標準語という本土で形成された日本語に染まり忘れ去られる。アカショウビンとて同じだった。しかし蛇皮線と音と踊りを見聴きすれば子供の頃に全身全霊で生きて受け継いだ経験と体験が甦る。

 この時節の1945年の沖縄は地獄の様相を呈していた。しかし末裔たちは占領の苛酷は時に噴出しても長閑な日常を生きられている。その幸いを言祝ぎたい。しかし現世は時に苛烈である。「占領体制」のなかで苛酷は土地に生きる人々にしかわからない。沖縄戦は本土のなかで既に風化している。天災も忘れ去られるだろう。しかし原発は近代技術文明が遺した抜き難い棘である。果たしてこの棘を人類は抜くことができるだろうか。

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2011年5月 8日 (日)

光について

 朝のテレビで音楽番組をたまたま観ていたらサン・サーンスの「ナヴァラ」という作品をヴァイオリンで演奏していた。初めて聴く曲だ。スペインの地名だそうである。そこにアカショウビンは音から彼の地の光のようなものを感じ取った。スペインには行ったことがないけれども。イタリアで撮影した「ノスタルジア」という作品で監督のA・タルコフスキーはナレーションを介しモスクワの光を映像と音で表現していたのではなかったか。それは恐らく聖書の文言とも関連しているであろう。同様にスペインの光が音で表現されるのも幻聴だとしてもあるのではないか。

 先日、渋谷で開催されている展覧会で、お目当てのフェルメールの「地理学者」を観てきた。この数年で観た作品のなかでは「牛乳を注ぐ女」がもっとも強烈なオーラを発していた。「地理学者」はそれには及ばなかったけれども「光の画家」と称されもするフェルメールの特徴は看取できた。

 此の惑星で生きる動物も植物も光なくして生きられる生物はどれほどあるのか知らない。しかし陽の光は貴重である。冬の光から春の光、夏の光へ。アルコールの力を借りて(笑)、ヘロヘロ、ヨロヨロとなりながら外へ出て陽の光を浴びようではないか。

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2011年5月 6日 (金)

憂鬱と活路

 面白くなき世を面白く生きるにはどうするか?さいわいアカショウビンは戦争の災禍を経験することもなく生死に関わる天災に見舞われることもなく生きてこられた。その間には人並みの喜怒哀楽を経験した。50年を過ぎれば老いの兆候も生じる。病にも罹る。今年になり関わりのあった知人や友人が続けて亡くなった。映像で親しんできた芸能人や俳優も亡くなっていく。娑婆での生がどれくらいあるのか知らぬ。しかし娑婆と言い、此の世と言い、世界と言う時空間が何なのかを知りたく思う。それには絶望と希望、悲しみと喜び、笑いと緊張の間に意志を漲らせねばならない。消耗し衰退するにせよ聊かの抵抗はしよう。遊びをせんとや生まれけむ、戯れせむとや生まれけむ、である。

 多くの人という生き物を「畜群」と見做したのはニーチェである。その思索と考察はいずれ検証するとして自然の猛威であはれに酷く人は死ぬ。それは能く死ぬ死に方ではない。一人の男が国家意志によって殺される。それを讃える者たちがいる。それを批難できる者は誰か?そもそも、この惑星に棲息し蔓延る人間とは如何なる存在なのか?

 ウンザリしゲンナリし気力を消耗し、それでも此の世を遊び戯れるには工夫がいる。時間の切り売り仕事の中にどのように活路を開き意味を充填するか?それが少なくともアカショウビンの現在を未来に渡す正念場である。

 先日「悲しみのミルク」というペルー映画を観てきた。ヒロインは絶望のなかで生きるためにあるいは死の際でもがき生きる。そのあとで先の大戦を描いた「戦火のナージャ」という作品も。陳腐な日常も映像の力が刺激を齎す。帰宅しテレビを見れば震災報道と彼の国の結婚式のバカ騒ぎである。それが娑婆で人間という生き物の生き様だ。それはニーチェが唾棄する畜群の姿でもあろう。禍福は正に糾える縄の如しである。

 先にも書いたけれども1月末に若くして亡くなった同僚のUさん宅を彼女と仕事を共にしたT君と先日、遅まきながら訪ねた。既に夫を亡くし、一人娘に先立たれた母親の悲しみはいかばかりか。此の世は何と酷いものか。人の孤独はそれぞれである。そこを切り抜けるにはどうするか?あの世を想定し希望を見い出すのか?「神に召された」と書かれたお母様にはクリスチャンとして天国を想起しそう信ずるのかもしれない。現世の苦しみを凌ぐには人間が生み出した一つの工夫とも言える。しかしそれで苦しみは超えられるのか?明日は明日の風が吹く。憂鬱を超える活路はありやなしや。

   

  

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