« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »

2011年3月26日 (土)

歴史を忘れるな

 本日は1945年に米軍が沖縄の慶良間諸島に侵攻した日と朝のラジオが告げていた。日本国民は天災と人災に圧倒されるなかで歴史を忘れてはいけない。それから約一月間、圧倒的な物量と戦力で米国は沖縄の大地と海と民衆を抹殺した。以後、大日本帝國の象徴ともいえる戦艦大和を撃滅し都市民を空爆で殺戮し二つの原爆で帝國は息の根を止められたのである。

 幸いに戦後66年、国民は戦禍の害は被らずに済んだ。しかし戦後の復興の過程で水俣の水銀毒に見舞われながら近代文明の害毒と恩恵を浴びて日本という国は66年の歴史を刻んでいることを忘れてはならない。そこに自然の鉄槌ともいうべき災禍に襲われたのである。東北では高齢者の病死が相次いでいると報じられている。それは天災と人災でもある。身体の老化と疲弊に人という生き物は環境に剥き出しに晒されれば何とあはれな最期を迎えなければならないことか。自らの将来もかくの如しであろう。歴史を辿り現在を自覚し将来・未来へ託す。かような生き物の行き着く先の一つの例をこの震災は明かした。

 原子力がパンドラの箱であることは既に開発した科学者たちが警告している。にも関わらず災厄は防御できない。それは存在論的に言えば存在の総体からの警告である。近代から人間達はその警告に抗いつつ身を任せ生存してきた。そのツケが回ったきたことを人間は再び忘れる。娑婆の現実とはこのように虚実皮膜の間で左右される。現在は歴史の果てにあり将来へ渡される。春は残酷な季節なのである。それも桜が咲き夏に至る過程で阿呆の如く人は忘れる。夏に至るまで歴史と現実と将来へ視角を開き活路を繰り返し開いていきたい。もちろん、それは死を自ら覚悟しながらである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月20日 (日)

国難と国民の活路

  昨夜、来月に福岡へ転勤し東京を去る高校時代の友人T君と電話で話していて、都知事がこの大震災を天罰と言い撤回した、という話を知った。先のブログでアカショウビンも「天罰」という用語を使った。しかしその使い方は異なることを説明しなければならない。彼は行政に携わる者としての言説を妥当とは見做さず撤回したのであろう。言うまでもなくトップは小説家上がりの政治屋でファミリーの長でもある。弟の映画俳優が持て囃されるのに便乗し首都行政のトップに成り上がった。その言動に多くの都民が同調した。その後も都民はその言説を可とし現在に至る。しかしかつて老境のライバルを歳のせいにして負かした本人がその愚を繰り返すのも笑止を過ぎて愚劣である。そのファミリーの国政への関与はアカショウビンが繰り返し憂える二代目、三代目のボンボンの能天気が国を誤らすと言う危惧の証左である。それは繰り返さない。しかし撤回したにしろ天罰とは何か?少しは仏教の知識もあるように思える彼が言う天とは少なくともキリスト教的土壌の神ではなかろう。では先の大戦前から掲げられた、かつての敵国が標榜する「正義」に対立する「神国」の言う天か?恐らく常に繰り返す失言の一つであろう。失言も繰り返せば正体が現れる。

 かつて鎌倉時代に39歳の日蓮は「天変地夭・飢饉疫・遍く天下に満ち広く迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩既に大半に超え悲しまざるの族敢てひとりも無し」と嘆じ一書で時の国家と世界と正面した。首都のトップにその文言は少しは反響しているかもしれない。しかし権力の亡者と化した如くの言説の軽薄は日蓮からすれば外道の妄言の如しであろう。

 鎌倉時代の天災と国政は当時の時代認識と相俟って僧侶はじめ当時の思想家たちを刺激、挑発させた。道元は山に籠り時の権力とは一線を引き、親鸞は関東の地で布教と思索に努めた。当時の仏教哲学は現代にも残存していることであろう。しかし近代文明は日蓮、道元、親鸞の思想を冷笑するかのように科学信仰に毒されている。そこで将来や未来に向けてどのように新たな地平が開かれていくのか?今回の大震災は鎌倉時代の仏教者たちの思索と対比してどのように熟慮されているのか。それは日本国への問いでもあり地球という惑星に棲む人間という生き物たちに突きつけられている問いである。これは日本国にとり敢えて言えば国難であろう。自然の猛威と脅威に人間はどのように対処し生きるという存在の回路を開いていくのか?ここで先人達の思索を通じ乗り越え開く契機が与えられたと解する。亡くなった人々に報いるためにも、喉元過ぎれば熱さ忘れる、であってはならない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月14日 (月)

近代文明の行き着いた先

 何とも悲惨な状況を映像で眺めているしかない。原発は科学技術を盲信する人間への天罰と言うこともできよう。ハイデガーや保田與重郎を読んでいると彼らは既に近代という時代区分が内包する本質の行き着く先を予知していたようにも思う。しかし乗った船から安易に降りることもできない。文明はこの惑星に遍く行き渡り支配しているのだから。日本人というより人類にこのような危機を契機に根本的な転換をすることができるのだろうか。事態は極めて深刻というしかない。

 病院で亡くなった我が父母やK先生、かつての同僚の若い才女の死は、地震で寸時、瞬時のうちに亡くなった人からすれば手厚い看護を受け遺族たちとも貴重な時間を過ごした安らかな死というべきだろう。しかし巨大地震や大津波で亡くなった人々はハイデガーのいう「能く死ぬ死に方」ではない。日本人は戦争も天災も粛々として受け入れ従ってきたというのが保田や小林秀雄の言説だが、それを現在に生きる私たちが鵜呑みにし全肯定するわけにもいかない。文明の恩恵と危険を身をもって体験、経験しながら私たちは現在を生きている。そこで死をどのように受け入れ迎える思想・宗教・哲学を再考、熟考し自らの行為とするか、というのが人類に問われている難問だと思うのである。

 先々日の地震の翌朝、会社で徹夜明けの土曜日に「浮雲」という成瀬巳喜男の1955年の作品を映画館で久しぶりに観て来た。これは敗戦の翌年に人々が引き上げて来る恐らく実写フィルムを使って物語の導入部にしている。それは戦争禍に生きる人々の姿だが、そこには苛酷な日常の中で男や女、子供や大人達の姿が描かれている。小津安二郎監督はこの作品を見て年間の最高作と判断した。小津作品とはまるで異なる成瀬作品だが映像作家が描いた人間達の姿には本質を見抜いた力がある。娑婆を生きる楽しみはそこにある。そしてとりとめもない愚考を巡らす。その一端を書き込むのがこの仮想空間である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 6日 (日)

これは映画ではない

 NHKのETV特集選で1月に放送された番組の再放送で「枯葉剤の傷痕を見つめて」を見た。そこには米国という国家が犯した償いがたい事実が苛酷な映像で表出されている。ヴェトナム人の第二世代の子供の惨状は、これを地獄と言わずして何であろう。それは映画で作品化される映像を超える現実だ。それにしても驚くのは健常者として生まれた兄弟姉妹が障害児と戯れる姿だ。それと両親たちの姿はアジア的な人間の姿だ。声高に敵国を罵るのではなく現実を受け入れ嗚咽し号泣する。その姿にアカショウビンは保田與重郎が依拠し説く、西洋と対立するアジアの同胞を見る思いがした。それは稲作文化で穏やかに生きている人々が西洋の野蛮と暴力と欲望で犯された姿である。番組は枯葉剤による二世代被害者の女性を追う日本人女性の行動を通して構成されている。そこでは米国人も被害者なのだという。それはアカショウビンからすれば偽善の如き構成である。

 この映像が告発すべき主題は、かつてチョムスキーが「9.11 アメリカに報復する資格はない!」(2001年11月30日 文藝春秋)で指摘した米国という暴力国家の畏怖する国家犯罪である。チョムスキーはヴェトナム戦争を米国人として考察するうえでその判断に到達したのだ。それは国家論としてより人間の持つ、仏教を介して考えれば業のようなものであろうが、その酷薄さは人語を絶している。しかし米国という国家が自由と正義を掲げた正当性を主張しても、それはナチズムの犯した罪と同列に告発されねばならない。

 米国政府はクリントンが保障・支援を表明し拍手を受ける姿が映される。それは、それで果たして済むことなのか?キリスト者としてそれは許されることなのか?神は米国という国家を許すのだろうか?私たちは日本人として米国が落とした2発の原爆を国は容認しても一人の国民として許さない。同様にヴェトナム人たちも日本人も米国というナチスドイツと同じように国家的犯罪で子孫達に与えた罪を許すべきではない。私たちはアメリカという国が人間の歴史の中で犯した償い難い罪を世界に告発すべきである。

 枯葉剤で12歳の時に失明したヴェトナム人の若者がベートーヴェンが耳が聞こえなくなってからも作品を書き続けた、という話を聞き、生きる力を得たと話す。そして彼がヴェトナムの伝統楽器で奏でる「アメイジング・グレイス」に米国の同じ障害者である女性が和する。その姿に幾らかの希望を看取した。しかし彼らの日常と現実は苛烈な生きるための闘いである。希望は苛酷な現実との相克から見い出される。それを実現するのも人の意志だ。

 哲学・思想的に、この歴史事実を捉え直すとすれば、人間という不気味さの極北とも言うべき事実を踏まえて地球という宇宙の片隅の惑星で繰り広げられた事実を思索し熟考することだ。そして未来の人々に向けてニーチェの超人・末人という概念を追想し考察していくことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月 5日 (土)

死とは

 将棋名人戦の挑戦者は森内九段に決まった。アカショウビンとしては渡辺竜王になってほしかった。ところが2日に行われた順位戦の最終局は意外な展開。森内・渡辺のプレーオフを予想したのだが渡辺が丸山に負け、森内が久保に勝ち、あっけなく挑戦者が決定した。それもリアルタイムでなく後で知ったのは情けない将棋ファンである。以前なら仕事など放り出して千駄ヶ谷の将棋会館に駆けつけ終電を気にしながら結果を確認して家路についたものだ。寄る年波には勝てない。ネットで結果は報じられているはずだがプレーオフを予想し午後10時過ぎには床に就いた。結果を知ったのも翌日の毎日新聞の夕刊と翌々日の朝刊。期待外れだったが春は名人戦を楽しむのが娑婆の楽しみだ。NHK杯は羽生が渡辺を攻め倒した。しかし七番勝負は棋士が二日間知力・体力をふり絞り闘う。その経過を楽しみたい。

 本日、K先生の御宅を弔問した。先生の奥様とは初めてお会いし遺影に対面した。奥様から闘病の詳細を問わず語りにお聞きした。それは先生、奥様はじめ家族の苛酷で凄絶な闘いだった。外科、放射線照射、と出来る限りの治療を受け、先生は生きる希望を捨てなかった、と奥様は語られた。それは家族や近親にしかわからぬ経験と体験だろう。そこで繰り返し問う。死は人間という存在にとって何なのだろうか。K先生の死とハイデガーの一文を介して更に再考しよう。

 >死ぬことができるとは、このはらんで耐え抜くことを能くする、ということである。われわれがこのことを能くするのは、われわれの本質が死の本質をよしとするときだけである。

 ★K先生は奥様の話では正にそのような死を迎えたように思えた。

 >しかしながら、数えきれないほどの死のただなかでは、死の本質は立てふさがれたままである。死は、空無でもなければ、有るものが別の有るものへ変わってゆくだけの移行でもない。

 ★死の「本質」へ踏み込もうとハイデガーは肉薄する。それは洋の東西を問わぬ人間達の関心の急所である。アカショウビンも現在を生きながら、やがて至る死と無縁ではない。

 >死は、元有の本質から出来事として本有化される人間の現有に属する。このように死は元有の本質を守蔵している。死とは、元有それ自身の真理を守蔵する最高峰の山脈である。この山脈は、元有の本質の隠されたありさまを内部に守蔵し、この本質の守蔵を集成する。それゆえ、人間が死を能くするのは、元有それ自身がその本質の真理にもとづいて、人間の本質を元有の本質のうちへゆだねて固有化するときだけであり、またそのときにはじめてである。

 ★その「はじめ」からのハイデガーの思索は「存在と時間」の頃から恐らく死ぬ時まで持続している。その思索を継続し深めるのが後に続く者たちの責務である。死とは非在となることであり残された者にとっては不在でもある。K先生の奥様にとっては先生は非在であることが信じられずヒョイと現れそうに思えるとおっしゃっておられた。奥様にとっては先生は臨在でもあるのだ。

 >死とは、世界という詩のなかで元有を守蔵する山脈にほかならない。死をその本質において能しとするとは、死ぬことができるということである。死ぬことができる人々こそが、「死すべきものども」というふうに、この語の含みに見合った意味において、はじめてそう呼ばれるのである。無数の恐るべき、死ともいえぬ死の遍在から大量の困窮がこだましてくる-にもかかわらず、死の本質は人間に立てふさがれてしまっている。人間はいまだ死すべきものになっていない。

 ★人間が「死すべきもの」になるのは何時なのだろうか。それはニーチェの超人と末人の思索がハイデガーの断言と呼応している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ | 2011年4月 »