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2011年2月16日 (水)

K先生の死

 高校の英語教師だったK先生が先月29日に亡くなられたことをI君からの電話で知った。月が明けて数日後のことだった。昨日、先生の奥様からお電話があったといつもの飄々とした声だが言葉を飲み込んでいるようにも察せられた。前立腺ガンを患われていたことは2005年か翌年かの忘年会の時に隣席に座って飲んでいた時に自ら告げられた。別の同窓生のS君が先生の奥様から聞いた話によると、いつもの面子で2003年に還暦のお祝いをした年にガンが発見されたことになる。そのときは本当にお元気だったのだ。教え子達から赤いチャンチャンコと杖を贈られ子供のように喜んでおられた。それから8年間の闘病生活はご本人とご家族のみぞ知るところである。聞けば先生は一人娘のお嬢さんを亡くされて遺児のお孫さんをことのほか可愛がられていたようだ。お嬢さんがおられたことも、そのお嬢さんが亡くなられていたこともアカショウビンは知らなかった。数人の同窓の諸氏も知らなかった。ところがここ1、2年にお嬢さんのご亭主が再婚しお孫さんがお父さん夫婦に引き取られたらしい。そのことも先生を気落ちさせた、と奥様がS君に打ち明けられたと話した。先生は私的なことをあまり教え子達に気楽に語られる性質の人ではなかった。しかしその話を聞いて人の人生とは様々なものであるのだなと改めて先生の姿を回想した。

 不良な教え子は先生が最後のご闘病をされ幽明を分かった時に何をしていたか日記を辿る。

 1月25日(火) 快晴

 山梨で仕事。昼食で安い飯屋を探したが見つからず。行き交った人が教えてくれた鰻屋で刺身定食を注文。冷凍マグロの切り身だけだったが腹ごしらえはできた。 

 1月26日(水) 晴れ 

  長野の松本で仕事。昨年の11月以来だ。バスで松本城の脇を通ると鴨と白鳥が見えた。左上奥歯の歯痛止まず。 

 1月28日(金) 晴れ 

 神奈川で仕事。手塚富雄訳の「ツァラトゥストラ」を携帯する。風邪は殆ど回復したが咳はたまに出る。同僚は体調管理も仕事のうちと言うが、そんなことは言われるまでもない。とりあえずはニーチェとハイデガーを介し古今の哲学・思想・文学を読み解することで<世界>の全体に分け入り、自らの存在と死を先駆的に覚悟するのだ。それには日常の瑣末な経験、体験も考察の契機となる筈だ。仕事は粛々とこなし思索、思考の時間を確保するのだ。

  1月29日(土) 晴れ 

 都内で仕事。数年ぶりに池袋の百貨店の会場を訪れる。その活気に驚く。東京は本当に人の多いところなのだ。田中政権の頃から論議された地方の底上げという国策は現在まで空論になってしまっているのは地方を仕事で訪れると良くわかる。

 アカショウビンがそのような日常に取り込まれながら、とりとめもない思考を巡らしていた日に先生は生死の境を漂われていたのだ。それはアカショウビンの母の最期の姿を介して想像するのである。先生は何時何分何秒に亡くなられたのだろうか。此の世を去る時刻は知りたいと思うのである。母は午前9時だった。

 いずれアカショウビンも空から海に落下するか地上の森で朽ち果てる。死骸は海上なら同類の鳥か魚に食われるだろう。森なら虫か獣に食い尽くされる。そして骨だけが残る。それが娑婆での生の証だ。次の世があるか知らぬ。

 先生も人間として生きた生涯は一人の人間として喜怒哀楽を経験された筈だ。67年の生涯は昨今の平均寿命からすれば長いとはいえない。しかし寿命なのだ。長くも短くもない。それで人としての生は過不足なく完結したと思う。アカショウビンの母も然りだ。宇宙の一角で経験し残した存在の記憶はご家族やご親戚、教え子たちに引き継がれていく。それでよかろう。本人の記憶も家族の記憶も語り伝えられた言葉と紙か墓石に残された文字だけが残る。それもいつか擦り減り土となる。教え子たちも然りだ。世は仏教で説く如く無常なのだ。長い短いというのは人間の小賢しい短慮でしかない。

 先生、次の世があるとして、もしや人間に生まれ変わったならぜひ英国のハイスクール教師として日本語を教えて頂きたいと思います。その姿を妄想しながら今宵は白河夜船と参ります。

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