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2011年1月 6日 (木)

髙峰秀子追悼

 髙峰秀子が亡くなったことを知ったのは年が明けてからだった。髙峰秀子の名前を映像でなく文章で知ったのは高校生のころの教科書だったと思い起こす。そのころ『二十四の瞳』の原作と映画作品を観て物語にも女優にも少なからぬ興味を抱いた。作品については「反戦映画」として定着しているようだが、その頃も今もアカショウビンはそれで済ますわけにはいかない作品と考えている。その詳細はいずれ観直してから説明する機会があるかもしれない。

 映画雑誌や著作などで、その存在は戦前から戦中、戦後の日本映画史のなかで多くのファンに愛された女優であることはその後知った。出演作品の幾つかは映画館で、未見の作品や代表作は、この10年くらいにビデオやDVDで新たに、また観直している。代表作は木下恵介監督と成瀬巳喜男監督の作品だろう。「カルメン故郷に帰る」(1951年)の〝天然色〟は学生時代に場末の映画館で観たときも今も脳裏に鮮やかな色彩が甦る。「喜びと悲しみも幾歳月」(1957年)で恐らく髙峰秀子という女優は戦後の多くの日本人に強い刻印を残したと思われる。物語も音楽も人々の心を打ったはずだ。アカショウビンもそうだ。評価の高い「浮雲」(1955年)や「乱れる」(1964年)が文芸作品調で玄人受けするのと対照的にこの作品は敗戦後の多くの日本人に国民として人が生きることに強いメッセージを明確に伝え得た佳作と思う。

 女優は監督と作品が育てる以上に観客が育てるものである。髙峰秀子という女優は正しく日本映画史にそのような〝国民的女優〟として記載される存在だろう。映画が娯楽の中心だった戦後の高度成長期に彼女は女優としても女としても成熟し映画産業の衰退期を生きて長寿をまっとうした。各作品を思い起こしていると幾つかの映像と独特の気だるい話しかたと声が幻聴のように聞こえて来る。それは最近のようにDVDなどで家族や個人が狭い家屋のなかで視られる女優としてではなく、何百人も入る映画館の多くの眼差しと熱気と共に明滅する虚像として。しかしそこには幾らかの希望と絶望、虚無と実存の力も感得できるはずだ。それも作品を観直してからの話である。

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