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2011年1月22日 (土)

現在という時空で棲息すること

 カール・レーヴィットの「ナチズムと私の生活 仙台からの告発」の最後はドストエフスキーの当時のドイツ観を引用し、それを肯定しながら、「ドイツは、ヨーロッパあるいは全キリスト教徒の中心部ではなく、ヨーロッパの解体の中心である」というカール・レーヴィットの断定で終わっている。ハイデガーが戦後もナチズムの思想の可能性を撤回せずに戦後を生き延びたことはユダヤ人ならずとも世界中の「常識」からすれば破廉恥で噴飯物の思想ということになる。しかし、そこで再考すべきはナショナリズムとニヒリズムの行き着く先を更にどのように乗り越えるか、という問いを提示し熟考することである。ハイデガーがニーチェを介して思索し対決したように。その思索は歴史的に通覧すればキリスト教の絶大な影響のもとに推移した西洋の歴史が解体する過程に生存したエリート達のアンビバレンツと了解することはできる。しかしイギリス、フランス、アメリカとロシアという大国の万力の如き政治的圧力から逃れ新たな世界秩序を構築しようとしたヒトラーやハイデガーたち同調者達が拠って立つ根拠とは何か?政治と哲学の不可分性と宗教と政治、宗教と哲学の不可分性も問い回答しなければならないのが現在に棲息する人間の実存というものであろう。

 前回のブログでコメントした開高 健は作家としてイスラエルでのナチのアイヒマン裁判を傍聴するなかで作家と政治の関係性に思索を巡らし作品化していった。それはベトナムという戦場での体験を経て代表作とも評価された。しかし晩年に至る開高はそれらの諸々から脱却するように魚釣りや食通ともみなされた世界に没入していく。それは功成り名を遂げた有名作家の悠々自適の人生とアカショウビンは傍観していたものだ。しかし60年にも満たない人生は、同時代を生き、小説作品やルポルタージュで啓発された読者としては早すぎる死として残念だった。ベトナム反戦運動でのかつての盟友、小田 実も既に亡くなった。昨今の政治情勢は中国と米国の巨大国家に挟まれ万力で締め付けられるかつてのドイツのようなものである。そこをどのように世界史的視野で凌ぐのか?まさかナチズムや天皇制を持ち出してくることはあるまいが思想的に哲学的に文学的に文化的にその問いへの回答が迫られているのが現在だ。あとどれほどの生の時間があるか知らぬアカショウビンの生も他人事ならず現在という時空で棲息することの意味を自分なりに了解して彼岸に渡りたいと殊勝に思うのである。

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