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2010年11月 3日 (水)

餓えて時に泣く

 小林秀雄が戦後にメニューヒンを聴いた後の昭和26年の新聞への寄稿文を読み、音楽の力とは正にそういうものだと腑に落ちる。

 >ただ、私は夢の中で、はっきり覚めていた。そして名人の鳴らすストラディヴァリウスの共鳴盤を、ひたすら追っていた。ああ、なんという音だ。私は、どんなに餓えていたかをはっきり知った。

 メニューヒン氏は、こんな子供らしい感想が新聞紙上に現れるのを見て、さぞ驚くであろう。しかし、私は、あなたの様な天才ではないが、子供ではないのだ。現代の狂気と不幸とをよく理解している大人である。私はあなたに感謝する。

  餓えて時に泣く。戦後を生き抜く苛酷と精進の生活苦のなかで涙がそれを癒す。音楽とはそういうものだ。小林秀雄という男が戦前、戦中、戦後を生き抜き一人のヴァイオリニストが奏でる音に全身全霊を集中した時に餓えと狂気と不幸の時を超えて涙が流れる。戦争の苛酷と卑劣、非道を、敢えて言えば面白さ、勇敢を体験した人々でなければ言えない体験を小林という男は一文に吐露した。その言外をアカショウビンは錯視か直視する思いだ。メニューヒンがユダヤ人として経験した苛酷を小林は異国の一人の大人として一丁のヴァイオリンの奏でる音から聴き取り凝視し感得した。

 アカショウビンも同時代を生きる多くの人々も親や仲間が喜怒哀楽として経験し生活苦と涙と笑いのなかを生き続けている。それが幸いか不幸かは娑婆を生き抜くエネルギーと意志がなければならぬ。ボロボロ、ヘロヘロ、ヨタヨタになりながらも娑婆の苦楽を経験し尽くして彼岸へ渡りたいと切に思うのだ。正しく一寸先は闇なのだ。

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