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2010年11月28日 (日)

ミレーとゴッホ

 ゴッホがミレーの絵の模写から新たな境地に踏み込んだというのは研究者の間では周知のことかもしれない。NHKの「日曜美術館」をたまたま観ていて互いの作品を交互に見ると、その違いがとても面白かった。ゴッホが北斎漫画に没入し一人の日本人の絵描きの美意識の本質ともいえるところに共鳴していくのも。

 絵でも音楽でもデフォルメに作品の命は変幻自在に生み出される。ミレーの技法を通して描かれる対象はゴッホという別人によって新たな表現の引き金となる。われわれ素人はその変化に瞠目するわけだが画家の視線は新たな作品となって表出される。それはまったく稚拙とも天啓とも観る者に感得される。両者の作品の異同は互いの視線の奥で共鳴している。それが面白い。

 出張仕事で泊まったビジネスホテルの部屋にミレーの「晩鐘」が掛かっていた。もちろん本物ではないが、構図と作品の骨格というべき農民夫婦の祈りの姿にはミレーが視抜いた人と自然の崇高な一瞬が写され画家の深い視線を看取する。作品の本質とも思われるものが画家も素人をも共振し共鳴させる。素人は瞠目し画家は模写し自らの新たな表現としようと苦闘する。正しく、真似るは学ぶなのだ。

 リヒテルのシューベルトも、そのように演奏され孤独と深淵が聴くものを共振し共鳴させる。絵心なく音心ない者は、それを別の手法で表出したい欲動と衝動に駆られる。人間として娑婆を生きる苦しみと楽しみは裏腹に相互に人間を支配する。しかしそれを超越したい欲求に駆られるのが人間である。娑婆は憂き世でも浮世でもあるのだ。ミレーは古典でゴッホは前衛画かも知れない。しかしそれを超越したところに芸術の真実とも真理とも言えるものは有る。

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2010年11月20日 (土)

リヒテルのシューベルト

 ネットを彷徨っていると、小林秀雄がリヒテルの来日公演でシューベルトのD960のピアノ・ソナタを聴いたときに、これは西行の「ねがわくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」の歌の心境で書かれた作品だと書いているらしい。全集にそれは収載されているのか不明。いずれ調べてみよう。そこで1961年11月の録音を聴き直した。なるほど小林の直感と感想は何とも小林らしい。小林は保田與重郎が生涯そうであったように戦中は自国の古典を昧読した。中国戦線には雑誌社の特派員として赴いた。そこから新たな思索に浸ったのか文壇から距離をおき殆ど沈黙していった。戦争体制を生きるなかで国の古典に没頭していったのであろう。多くの学徒兵がそうであったように。先に引用した朝日新聞の一文を読むとそう思う。戦中はラジオやレコードで音楽への餓えを癒したと思われる。戦後に出版した『モーツァルト』は、その体験と思索を明らかにしている。一人の国民として敗戦を通過し保田とは異なり文壇に復帰し再評価され長寿をまっとうした。仕事の合間には複製音楽で満足できない餓えをメニューヒンはじめ来日演奏家のリサイタルを貪るように聴き精神の餓えを補ったのであろう。

 以前にも書いたがリヒテルのシューベルトには格別の深さがある。それをアカショウビンが聴き取り腑に落ちたのは1978年に録音されたD894の「幻想」を聴いたときだった。他のピアニストの演奏を聴けば異常とも思えるテンポの中にシユーベルトという若くして死んだ天才の孤独と憂愁と深淵が音として表出されている。その深さを音として表現するには天賦の才が必要だ。リヒテルの音にそれを聴き取る。それは現存のもっとも優れたピアニストと思われる内田光子も田部京子でさえ及びつかない境地と言ってもよい。リヒテルという稀有のピアニストの音には存在の不可思議さとでもいうしかない響きがある。

 最近、仕事に忙殺されて映画や音楽に浸る時間がとれなかった。ネットの一文のおかげで久しぶりにリヒテルを聴けた。新聞では海外のコンクールで日本女性が優勝した報も伝えられている。消耗し娑婆を生きるなかで小林でなくとも音楽の力に浸ることなくして生きられない。

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2010年11月18日 (木)

虚あるいは一切は空

 「コンタクト」という米国映画をかつて面白く観た。宇宙人からのメッセージを女性科学者が読み解き、宇宙人が彼女を数分間の間か、遥か彼方の彼らの時空間に招待するといった物語だ。面白かったのは、彼らが地球に送ったメッセージのようなものがヒトラーが演説する映像だったということ。そして女性科学者を彼の地に誘った映像が彼女の亡き父親のイメージを利用したということ。そこに作品の仕掛けとメッセージがあるように思えた。それは映画評論家たちの間で既に論議されているかもしれないから省く。アカショウビンが関心をもったのは虚像と実像、あるいは仏教哲学で論議される一切は空という論説と作品のメッセージと解するものとが呼応していると思われるからだ。

 それはまた人間の五感と宇宙を含めた時空間との交錯とは何か?という哲学では存在論という領域とも関連してくる。映画の中での父親のイメージは果たして虚像なのか?彼女の意識の中で、それは体験と経験あるいは記憶を介して虚なるものと切って捨てることはできないだろう。それは切実な実像とも言える。

 前回に書いた吉本(以下敬称は略させて頂く)や小林の論説を介してアレコレ愚考するのは、詩人の思索、思想や批評家の経験と一文が、アカショウビンの愚考とも幽かに関連してくると思うからだ。先週も先々週も仕事で信州長野の土地を南から北までレンタカーで駆けまわった。そこでアレコレの感慨に浸ることも契機となっている。しばし車を降りて信州の風土の中に身をおけば保田與重郎という文人が依拠した日本の風土というものが、日本とは何か?風土とは何か?という問いとなって反響してくる。風土の間に人間は生息する。それは天空と大地の間に生息する人間や動物、植物の生き物の存在とは何か?という問いともなる。美しく暮れゆく信州の空と大地の間に身をおけば地球という惑星の中で人間の存在などは動物や植物にとって自分たちの縄張りを荒す、はなはだ迷惑な存在である。古人は、それを理解し一切は空、と断じたのかもしれない。それはまた文明と技術が人間という生き物をこの惑星に蔓延らせた原因でもある、という思考、思索とも共鳴する。

 信州の地で農民は畑で野沢菜の種を蒔き栽培し育てる。それを収穫し食べ、あるいは加工業者に売り金に換える。日本やアジアでは稲を育て米を主食として文明は栄えた。種を蒔くのも畑を耕すのも今や文明の利器である機械を使い使われることなくして存続できなくなっている。農民といえど文明の利器を活用し技術と無縁ではあり得ないのだ。農作とは虚なのか実なのか?労働は虚なのか実なのか?サラリーマンのアカショウビンの仕事など虚業の如きものである。大地に種を播き作物を収穫し生きるための食物を得る。そういう農業こそが実業で人間の本来の姿とも思える。しかし一切は空という断言は果たして真理なのか不真理なのか?人は娑婆という現実のなかで愚考を重ね、やがて彼岸に渡るのだ。結論も正答も恐らくない。信州の空気はひんやりとして北アルプスの高峰は美しく冠雪している。束の間の秋の景観は静かに冬へと姿を変えつつある。虚業の仕事の合間には束の間の愚考、瞑想に浸りたくなるのが人間という生き物の始末に負えない性である。

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2010年11月 3日 (水)

餓えて時に泣く

 小林秀雄が戦後にメニューヒンを聴いた後の昭和26年の新聞への寄稿文を読み、音楽の力とは正にそういうものだと腑に落ちる。

 >ただ、私は夢の中で、はっきり覚めていた。そして名人の鳴らすストラディヴァリウスの共鳴盤を、ひたすら追っていた。ああ、なんという音だ。私は、どんなに餓えていたかをはっきり知った。

 メニューヒン氏は、こんな子供らしい感想が新聞紙上に現れるのを見て、さぞ驚くであろう。しかし、私は、あなたの様な天才ではないが、子供ではないのだ。現代の狂気と不幸とをよく理解している大人である。私はあなたに感謝する。

  餓えて時に泣く。戦後を生き抜く苛酷と精進の生活苦のなかで涙がそれを癒す。音楽とはそういうものだ。小林秀雄という男が戦前、戦中、戦後を生き抜き一人のヴァイオリニストが奏でる音に全身全霊を集中した時に餓えと狂気と不幸の時を超えて涙が流れる。戦争の苛酷と卑劣、非道を、敢えて言えば面白さ、勇敢を体験した人々でなければ言えない体験を小林という男は一文に吐露した。その言外をアカショウビンは錯視か直視する思いだ。メニューヒンがユダヤ人として経験した苛酷を小林は異国の一人の大人として一丁のヴァイオリンの奏でる音から聴き取り凝視し感得した。

 アカショウビンも同時代を生きる多くの人々も親や仲間が喜怒哀楽として経験し生活苦と涙と笑いのなかを生き続けている。それが幸いか不幸かは娑婆を生き抜くエネルギーと意志がなければならぬ。ボロボロ、ヘロヘロ、ヨタヨタになりながらも娑婆の苦楽を経験し尽くして彼岸へ渡りたいと切に思うのだ。正しく一寸先は闇なのだ。

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