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2010年9月11日 (土)

百年

 今年は保田與重郎生誕百年であることを先月の毎日新聞の書評欄で知った。そうか、保田が生きていれば百歳なのか。行方不明の高齢者たちに混じり長寿を生きていれば現今の政治屋たちには諄々と道と無知を説き一喝を喰らわしただろう。

 アカショウビンの昨今の読書内容は、かつて読んだ本の再読、再々読である。久しく新刊を読んでいない。ところが引っ越しで発見した図書券を手に書店を訪れたら衝動的に未読の「オリエンタリズム」(1993年 平凡社 E・W・サイード著)を購入した。もっとも昨年来の貧窮生活で上・下本の上巻だけだが。しかし面白い。このパレスチナ人の1978年の著作は32年後の現在読んでも鋭い指摘に満ちている。フランス人、ミシェル・フーコーの『知の考古学』、『監獄の誕生-監視と処罰』に影響されたと著者が明かすこの著作は西洋的な知を逆用して思索する。その考察は今読んでも新鮮だ。

 「簡単に言えば、オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式(スタイル)なのである」(p21)。

 サイードの思考の新鮮さは序説を読んだだけでも刺激的で挑発的で面白い。深い西洋的知の素養を介して彼は西洋的知に匕首を突きつける。その思索の本質で保田與重郎はサイードと底で共振しているかもしれない。それは昨今の内外での皮相な文化的・政治的言説とは次元を異にする。その射程は百年どころかエジプトやインドを介して千年、二千年、四千年前に及ぶ。それは西洋的知の今後を予想する内容を秘める。

 さて、保田の射程は、どれほどサイードと共鳴し不協和音を発するだろうか。猛暑で読書の気力も萎えた夏であった。鈴虫の鳴く音も聞こえて秋は近い。読書の刺激を介し娑婆を生き延びる力を涌き起こさねばならない。

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