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2010年9月28日 (火)

一村という画家の全貌

 先日、千葉市の市立美術館で開催されていた「田中一村展」を見てきた。一村の展覧会は新宿の三越百貨店(だったと思うが)で開催されて以来だ。先日NHKの「日曜美術館」という番組で放送されていたのも見たが、やはり肉眼を通し全身で作品と対面することが経験のいかばかりかの深さとなるのだ。

会場を一回りすれば、これまで奄美時代だけが強調される感のあった一村という画家の千葉時代から初期の作品まで発掘し画家のほぼ全貌が現れたといえる。そこには雪舟も蕪村も鉄斎も玉堂もいる。襖絵には応挙も意識されていただろう。昭和23年9月に描かれた「秋晴」は農家に干された大根の白が鮮やかで千葉時代の優れた作品である軍鶏が点景として描かれているのが微笑ましくも清々しい作品だ。 

 一村は若い頃から鳥を飼うのが好きだったという。日本画の花鳥画から奄美の虎鶫(とらつぐみ)まで生涯にわたり描いた鳥の姿は鳥への偏執を痛感する。それは川端康成の鳥好きとも相通じるだろうか。今回の展示会で初めて見ることができた「峻嶺図」は西洋画風の作品だ。南画家として世に出た一村が当然ながら西洋画からも学んだ跡を偲べる佳作だ。鳥や生き物の描写の細部と空の暮色の暈しなどは神品のオーラを発している。

 かつて新宿の三越で企画された時以来再会した「花と軍鶏」(昭和28年)には改めて圧倒された。これを見ていると正しく画家とは存在の本質・本体を凝視し暴こうとする生き様なのだなと思う。老いた軍鶏の姿は人間でいえば老残の趣もあるが、そこには生き物の誇りと矜持が画家の視線を介して見事に描かれている。

 「放牧」も作品に横溢している清々しさが天上の崇高さともいえる姿を一村が視ているように思えた。

 この千葉時代から四国、九州への旅で一村が奄美へ渡る筋道の如きものが伝わってきて或る必然のようなものを了解した。西国の世界を身をもって体感しながら自然や植物、生き物の姿に一村は更に南の豊饒な自然の感触を手探るように予感し惹かれていったのだ。この展示会でアカショウビンは一村の心象風景が一望できる思いがした。宮崎の青島を描いた小品から奄美までは画家にとって、もう一歩なのだ。

 昭和36年に描かれた「白衣観音図」は雪舟の「慧可断臂図」や鉄斎さえ彷彿させる。墨のざっくりとした使い方と観音の緻密な細部の対照は修行時代の水墨画を見れば一村が雪舟の伎倆にも比する境地にあったことを知らしめるではないか。若き頃から千葉時代までに一村は過去の名人達の作品を自ら血肉化していたと実感する。それが奄美に渡り真に独創的な境地へと飛躍したのだ。それは一村という人間にとっての「生の飛躍」とも言える経験だったのではないだろうか。

 先日放映されたNHKの放送や画集では「白梅に高麗鶯」の羽毛の黄と白の対照は見て取れない。細部は自らの眼で視なければ了解できないのだ。

 水田の脇に描かれている高倉は懐かしい。アカショウビンが子供の頃に父の実家にもあった。それは一個の家庭の持ち物として少しは活用されていたが、それが「群倉」(ぼれぐら)と呼ばれていたというのはかつて耳にしたことがあったような気もするが定かではない。

 「蘇鉄残照図」は大島紬の渋さに通じる玄妙さを感じる作品だ。空と海と蘇鉄が闇に沈んでいく一瞬が一村の孤独をも表出しているようだ。

 画家の孤独は作品に反照している。晩年のみが過剰に喧伝されて奇矯な画家という通説も横行しているがそれは誤解である。この展覧会では修行時代の傑出した才能から千葉での作品群、それから四国、九州へのスケッチ旅行を経て奄美へ渡るまでの経緯が作品を介して通覧できた。

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2010年9月19日 (日)

最後の新藤作品

 来年公開される映画監督・新藤兼人の新作「一枚のハガキ」のメイキングをNHKで見た。この数年で未見の新藤作品や新作を劇場やレンタルDVDで見てきたが、最後になるという新作を観るのが楽しみだ。

 戦争は死んだ者たちばかりでなく残された家族を破壊する。

 それが新藤のこの作品でのテーマであり視線、視角だ。先年亡くなられた黒木和雄監督の晩年の作品も思い起こされる。黒木監督も新藤監督も先の大戦への強い思いは晩年に自らの仕事の集大成とする執念の如きものを痛感するのである。先の大戦を一人の兵士と夫を失った妻や家族の観点から98歳の老監督が描き尽くそうとする視角は格別と思われる。アカショウビンが震撼した「裸の島」(1960年) から新藤作品は時に劇場やDVDで観てきたが、これが最後の作品となるという。召集された同期100人のうち生き残ったのは6人。その最後の一人の執念を留めた映像は心して見たい。

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2010年9月11日 (土)

百年

 今年は保田與重郎生誕百年であることを先月の毎日新聞の書評欄で知った。そうか、保田が生きていれば百歳なのか。行方不明の高齢者たちに混じり長寿を生きていれば現今の政治屋たちには諄々と道と無知を説き一喝を喰らわしただろう。

 アカショウビンの昨今の読書内容は、かつて読んだ本の再読、再々読である。久しく新刊を読んでいない。ところが引っ越しで発見した図書券を手に書店を訪れたら衝動的に未読の「オリエンタリズム」(1993年 平凡社 E・W・サイード著)を購入した。もっとも昨年来の貧窮生活で上・下本の上巻だけだが。しかし面白い。このパレスチナ人の1978年の著作は32年後の現在読んでも鋭い指摘に満ちている。フランス人、ミシェル・フーコーの『知の考古学』、『監獄の誕生-監視と処罰』に影響されたと著者が明かすこの著作は西洋的な知を逆用して思索する。その考察は今読んでも新鮮だ。

 「簡単に言えば、オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式(スタイル)なのである」(p21)。

 サイードの思考の新鮮さは序説を読んだだけでも刺激的で挑発的で面白い。深い西洋的知の素養を介して彼は西洋的知に匕首を突きつける。その思索の本質で保田與重郎はサイードと底で共振しているかもしれない。それは昨今の内外での皮相な文化的・政治的言説とは次元を異にする。その射程は百年どころかエジプトやインドを介して千年、二千年、四千年前に及ぶ。それは西洋的知の今後を予想する内容を秘める。

 さて、保田の射程は、どれほどサイードと共鳴し不協和音を発するだろうか。猛暑で読書の気力も萎えた夏であった。鈴虫の鳴く音も聞こえて秋は近い。読書の刺激を介し娑婆を生き延びる力を涌き起こさねばならない。

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