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2010年8月28日 (土)

通天閣

 昨年4月に大阪に転居してから1年4カ月、大阪の名所・旧跡を訪れることは少なかった。今年の6月以来勤めた仕事先は堺市にある。千日前線から難波で南海線に乗り継ぎ出勤する。途中に通天閣が見える。そこには将棋道場があり訪れたのは20年以上30年近く前だった。都内の道場と異なり料金は時間制。囲碁盤もおいてあった。何番か差して感想戦のときに「歩」のことを「ひょこ」と言うのが面白く可笑しかった。学生時代に新宿の将棋道場に通うのがアカショウビンの楽しみだった。家族が大阪に越してきて暮れから正月を過ごすおりに一度訪れたのだ。坂田三吉翁ゆかりの土地を訪れることは将棋ファンの礼節というものである。

 先日、仕事の帰りに不意に南海線の「新今宮」という駅を降りた。案内では徒歩で約15分という通天閣に向かった。途中、人が会場の外に溢れている道路側に開け放たれている教会も覗いた。不況で神にすがる人々も多いのだろう。クリスチャンでない人々もいると思われた。通天閣に着くと以前来た時の記憶は殆どない。将棋道場がどこにあったかも定かでない。「餃子の王将」で食事を済ませ通天閣に昇る案内をしているオッチャンに将棋道場はどこかと訊ねた。すると道場は7年前に閉めたと言う。残念だった。しかし「空に灯がつく~」と村田英雄が歌ったアカショウビンにとっては大阪の聖地とも言える土地を再訪して幸いだった。本日で1年4カ月の大阪暮らしを切り上げる。幾つか将棋道場はあったがアカショウビンにとっては通天閣将棋道場が思い出の場所だ。そこが既に閉鎖したのであればこれから来阪する時に訪れることはないかもしれない。時は過ぎ人も去る。記憶と思い出は水霊の如く消え、時に再生することもあるだろうか。

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2010年8月15日 (日)

歴史と現在への視線

 アカショウビンを含めて多くの日本国民は本日を過ぎれば歴史の記憶はさらりと忘却の彼方へ流す。それでもアカショウビンは毎年、沖縄戦の終結した6月から原爆投下を経てこの日まで少しは歴史を振り返る機会を持つ。

 65年前に敗戦で戦は終結したが大陸では殺戮と違法が継続されていた。詩人の石原吉郎や盟友でもあった内村剛介はシベリアに抑留され戦後を生き延びた。しかし多くの抑留者たちは極寒の地で満足な食事も与えられず苛酷な労働や望郷の思いを抱えながら果てていった。数年前に仕事の関係でウラジオストクとナホトカを訪れる機会があった。ナホトカの日本人墓地の白い墓標に刻まれた日本名を辿り感無量だった。人の好さそうな老いたロシア人の墓守が先日は日本の大臣も訪れたと話していた。

 アカショウビンの父は満州帰りである。存命のころに満州での交戦の記憶を一度だけ息子に洩らしたことがある。ロシア兵の死体は少年兵も多かったと話していた。昨年亡くなった母は17歳の頃に祖父と共に貨客船の中で米軍機の攻撃を受け殺されかけた。祖父母や親達は戦争を現実に経験した。石原にとってその苛酷な体験は失語を伴うほどのものであった。望郷の思いはやがて怨郷に変化する。

 戦争は国家や多くの軍人や国民によって美化され忌避される。或いは意図的に改変される。隠蔽された驚愕する事実がある。それは全体でなくとも一部が暴露され露出する。その時に事実は回想され解釈され嘘も混じる。国民は事実を直視することに臆病であってはならない。そこで精神にはセンチメンタルや浪花節を超えた強さと明晰が要求される。それは石原や内村の詩や論考を読みながら熟考を促す。それは国際社会のなかで日本国民としての責任と見做されるものでもある。アカショウビンの関心で言えばドイツの政治状況や知識人たちの言動と共振させながら継続していくものである。石原や内村の著作や論考と併せながら継続しているハイデガーの論考や中断している保田與重郎やヤスパースの著作も再開しながら。

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2010年8月 5日 (木)

瞑目と刮目

 この夏に私たちは先の大戦の死者達に日本国民として一人の人間として歴史を想起し瞑目する。戦争を放棄した現在の日本という国で男達が国家によって死を覚悟する状況に追い込まれることはない。それは世界の国家を見渡せば稀少であり戦争が日常となっている国家から見れば何とも不可思議な姿を呈しているだろう。一人の国民としてアニメ文化と尊称か揶揄される現状を見れば慨嘆し落胆するしかない。戦後の日本という国は世界史のなかで突出し傑出して特異な形態を呈していると思える。若者たちだけでなく今や中高年たちの引きこもりが増えているらしい。引きこもるには或る程度の経済的余裕が必要であろう。現在のアカショウビンに引きこもることは無理というものである。それは不幸なことなのか幸いなのか。戦後日本と日本人は腑抜けになったと勇ましく怒る勢力もある。しかし享楽を享受できる幸いは貴重だ。

 戦いで斃れた兵士たちや戦火で殺された国民の死者たちへアカショウビンは深く頭を垂れ瞑目する。しかしそれだけで済ますわけにもいかない。20世紀を経て新たな百年というモノサシで考えればナチズムとコミュニズム、スターリニズム、それに加えて原爆投下によってドイツの絶滅収容所と同じくその罪が問われ明らかにされなければならないアメリカニズムという功罪併せ持つ形態が人間が行き着いた或る人々の姿として存在するからだ。そのなかでナチズムは人間と存在を思索したハイデガーにとっては歴史的な偉大な可能性だった。絶滅収容所という驚愕するしかない行為を冷徹に実践したドイツ人の代表的な知識人の一人としてハイデガーは責任を自覚しながらも、そこから逃れるように、しかし彼が思考した理想のナチズムに固執し戦後もそれを通奏低音として思索を継続した。そこには謝罪といった行為で済むことではないという意志もはたらいた筈だ。政治的に謝罪しても済ませられない責任が存在する。それはヤスパースが主張する「形而上的な罪」という考察を辿ることで思索できる。ナチズムが席巻したドイツでハイデガーとヤスパースという二人の哲学者の対比はドイツだけに限らず彼らが思索した思考は日本人にもアメリカ人にも他の諸国家の一人一人の国民にとって無関心ではいられない内容を有する。

 私たちは親たちが経験した戦時体制を経て享楽体制とでも見做せる時代を生き続けている。その幸いと裏腹に生じる不幸にも視線を向けなければならぬ。それは無関心と虚無という深淵にアカショウビン自らの心身を介して対面・正面することでもあるからだ。そこでは頭を垂れ瞑目するだけでなく、頭を上げ刮目し意識を最高度にはたらかせ見えないものと対峙する覚悟が必要だ。

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