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2010年7月 5日 (月)

或る戦争体験

 たまたま明け方にラジオの電源を入れたらNHKの「ラジオ深夜便」という番組でキム・アンナさんという韓国の女性がご自身の体験を語られていた。途中からだったが聴き続けさせられた。彼女は満州で敗戦を迎え幸いにも故国に帰られたけれども朝鮮動乱でまたも戦争を経験する。それは世界大戦とは異なる内戦の苛酷と非情さを身をもって経験・体験するということである。その渦中で、ソウルで銀行員の方と結婚され、その後ご家族で日本にも足掛け4年滞在された。キムさんは旧満州の牡丹江の女学校をご卒業されており日本では同窓生たちとも旧交を温められた。その後、渡米し長く米国に在住されておられる。現地では「命の電話」という日本人や日系の人々の緊急の苦しみの電話相談も継続されておられる。

 お話の中で特に印象深かったのは内戦の苛酷である。同じ民族同士が殺しあう悲惨と苛烈は言語に絶するものであろう。それは兵士同士の殺し合いではなく兵士が市民を殺すという悲劇を生む。沖縄戦では日本兵が沖縄の人々を惨殺した。

 ドイツでもナチズムの嵐の中でユダヤ人が「工業的規模で」(@ヴィクトル・ファリアス)、またドイツ人の有識者たちがヒトラー政権の突撃隊、親衛隊によって無残に惨殺されている。先に挙げたヤスパースの問いは洋の東西を問わない内容に富む。アカショウビンはハイデガーの戦中の言説を改めて読んでいるところだが、当時のドイツの国状は同盟国として我が国の当時の論説とも無縁ではありえない。西田幾多郎はじめ京都学派や保田與重郎、小林秀雄らの言説・論説ともそれは精妙に呼応している。ドイツ人としてのヤスパースやハイデガーの戦後の生き様や論考、小林や保田はじめ日本人の生き様、論考と共に繰り返し読み直し現在にフィードバックさせなければならない。

 キムさんの場合は一人の戦争体験者の語りとして貴重である。梅雨の夜の明け方に、そういった声を聴けたことは幸いである。眠れない夜に繰り返し聴いて厭きない嘉手苅林昌の声と蛇皮線ともそれは味わい深く共鳴し共振するのだ。

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コメント

「私たちを守るはずの関東軍は、我先にと逃げていった・・・」

とまるで差別されていたかのようなことを言いつつ、

「ロシアは朝鮮人居住区は絶対攻撃しない等のビラがまかれて・・・(中略)、満州人の忠告により、赤旗をふって、ロシア人を歓迎した・・・」

とも語っている訳です。おかしいですね。

つまりキム一家は自由意志で牡丹江?に残留したに過ぎないわけですよね。

被害妄想も甚だしい。

投稿: | 2010年8月26日 (木) 午前 05時02分

 どなたか存じませんがコメントありがとうございます。キムさんの語りに、どういうお立場からか反発されるのはコメントだけでは了解しにくいのですがお声と語りから私はキムさんのお人柄が偲ばれ傾聴した次第です。政治的、思想的な立場はともかく私は一人の韓国人の戦争体験として実に興味深く聴きました。

>とまるで差別されていたかのようなことを言いつつ、

 ★それは差別というより現実的な気持だったと思いますよ。当時の混乱の中で市民の安全は優先されたようですが例外も現実にあったと聞きます。それをキムさんの語りが「差別されていたかのような」と解釈することに私は同意しません。

 >つまりキム一家は自由意志で牡丹江?に残留したに過ぎないわけですよね。

 ★それを「過ぎない」と突き放した言い方をされるのは当時の状況に思いを致せば余りに冷徹であると私は思います。

 >被害妄想も甚だしい。

 ★それは決して妄想などでなく現実的な意識だったと思いますが。

投稿: アカショウビン | 2010年8月28日 (土) 午前 11時47分

私が拝聴したときは、2夜にわたるものでした。
アカショウビンさんは前置き通り、全編通して聞いていないのだろうと思います。

彼女が学校に入った際のエピソードや、創氏改名を強制されたとか、その後成長し、原宿の雑貨屋での体験などはきていないのだろうと思います。

彼女自身が「差別」されていたと言っていたのですよ。

確かに、そのときの彼女の「気持ち」といってしまえば、そうかもしれません。しかしながら、視聴者に対しては大変なミスリード招く内容であるのも確かです。

問題は、当時の状況の重要な部分を前置きせず、自分の「気持ち」だけを語り、都合の良い印象だけを視聴者に与えているということです。

具体例は山ほどありますが、そうですね、戦後、原宿での体験はどうでしょうか?
雑貨屋さんのおばさんに、商品が在るにもかかわらず、朝鮮人と判ると売ってもらえなかったそうです。

確かに悲しいですね。

しかし私には、売らなかったおばさんの気持ちも察せられます。戦後、日本各地で朝鮮人達が「戦勝国民」と称して行った極悪非道を知っているからです。
インターネットを操るあなたなら、いくらでも調べることができるでしょう。
私からは、語るに耐えません。


投稿: | 2010年9月 1日 (水) 午後 07時48分

 再度のコメンありがとうございます。引っ越しでパソコン環境が整わず失礼しました。本日やっと復旧しましたので遅ればせながら返信させて頂きます。

 >私が拝聴したときは、2夜にわたるものでした。
アカショウビンさんは前置き通り、全編通して聞いていないのだろうと思います。

 ★そうです。

 >彼女が学校に入った際のエピソードや、創氏改名を強制されたとか、その後成長し、原宿の雑貨屋での体験などはきていないのだろうと思います。

 ★おっしゃる通り聴いておりません。

 >彼女自身が「差別」されていたと言っていたのですよ。

 ★なるほど、それなら事情はもっとよくわかります。

 >確かに、そのときの彼女の「気持ち」といってしまえば、そうかもしれません。しかしながら、視聴者に対しては大変なミスリード招く内容であるのも確かです。

 ★このような体験を語る場合、視聴者は貴方や小生を含めて不特定多数です。そこで「大変なミスリード」という貴方の受け取り方を含めて小生のような聴き取りが多数多様であることは了解しておかなくてはなりません。

 >問題は、当時の状況の重要な部分を前置きせず、自分の「気持ち」だけを語り、都合の良い印象だけを視聴者に与えているということです。

 ★都合のよい印象を与えている、かどうかは視聴者の判断でしょう。NHKのテレビでもラジオでも「公共放送」は良い意味で公平、悪く言えば曖昧で優柔不断です。

 >具体例は山ほどありますが、そうですね、戦後、原宿での体験はどうでしょうか?雑貨屋さんのおばさんに、商品が在るにもかかわらず、朝鮮人と判ると売ってもらえなかったそうです。確かに悲しいですね。

 ★悲しいのではなく、それはキムさん御本人にとっても私にとっても怒りとも憤りともいう感情を伴う体験、事実だと思いますが。貴方の「悲しいですね」という突き放した言い方に私は何ともやりきれない冷笑を感じ取ります。

>しかし私には、売らなかったおばさんの気持ちも察せられます。戦後、日本各地で朝鮮人達が「戦勝国民」と称して行った極悪非道を知っているからです。

 ★その「極悪非道」は日本人も戦争中に東南アジア、中国、韓国で残した拭いがたい事実であることはご存知のことと思います。その双方の歴史事実を凝視しなければならないでしょう。

 >インターネットを操るあなたなら、いくらでも調べることができるでしょう。

 ★もちろん散見し承知しております。

 >私からは、語るに耐えません。

 ★厳然たる事実から都合のよいところだけを見て語り、都合の悪いことは無視する悪弊からはお互い自由でありたいと思います。先に書きましたNHKが放映した米国で発見された沖縄戦でのカラーの実写フィルムの件もそうですが国家は都合の悪い事実を隠蔽しようとします。しかしそれが公開された時に国民や個人はそれから眼を背けてはならないでしょう。「語るに耐えない」ことがご自分に都合の悪いことでも語るべき時には語るべきだと私は思います。言論の自由と公平、真理はその決意なくして存しないと思うからです。

投稿: アカショウビン | 2010年9月 6日 (月) 午後 09時59分

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