« 内戦の記憶 | トップページ | 辛酸入佳境 »

2010年7月15日 (木)

夏に逝く

 学生時代以来の友人、N村君の御母堂の訃報を先日彼からの電話で知った。享年84歳。昨年亡くなったアカショウビンの母より一つ上であられた。都内に住んでいたころ何度か将棋を指しに訪れた時にご存命だったお父さんやお母さんにお会いしたことを思い出す。お父さんは数年前に亡くなられた。お元気だったころアカショウビンが信州へスキーに行ったお土産に地元で購入した野沢菜をお届けしたらことのほか喜ばれたお顔を思い出す。ご逝去の時はアカショウビンも友人のM尾君とお通夜に訪れた。奥様や妹さん、お嬢さんにも久しぶりにお会いできた。それからお母さんは少し痴呆にもなられたことはN村君との電話で知った。しかし妹さんや周囲の手厚い看護で此の世を去られたことは幸せだったと思う。

 親不孝なアカショウビンは昨年亡くなった母と死までの5ヵ月間が罪滅ぼしの短い時だった。それで罪が失せるわけでもない。弟からは身勝手すぎると詰られた。しかし母親という存在は人と生き物にも他の生き物にも特別な存在であると切に思うのだ。アカショウビンもN村君もおそらく母親から貴重な愛情を注がれて親子の関係を生きたと思われる。それは顔と姿を視れば瞬時に悟ると言ってよい。その直感は外れていないと確信する。もちろん母親といえども女という性を有する。それは息子や娘には深い溝とも思える他者という存在である。しかし親子という関係は特別なものだ。もちろんそれが愛情ではなく裏返せば憎しみともなる。その総体は人様々だ。しかしそれはマザコンと巷間蔑まされるカタカナ語の皮相とは別格のものだ。死が幽明を分かつ時に人はその独特の関係の不可思議と深淵に思い到る筈だ。

 N村君のお母さんの訃報を知らされた前には新聞記事で、つかこうへい(以下、敬称は略させて頂く)の死を知った。62歳とは現在の平均寿命では早い死だ。アカショウビンはつかの芝居のファンというわけではない。しかし映画の「蒲田行進曲」(1982年 深作欣二監督)はとても面白く観た。芝居と映画のテンポはもちろん異なるだろう。しかし映画の物語のテンポは実に小気味良く脚本が練られたものであることは推察できた。主演の風間杜夫、松坂慶子、平田 満の姿が思い浮かぶ。

 先般の井上ひさしにしろ、つかにしろアカショウビンは芝居より映画で作品に出会った脚本家である。芝居のナマの舞台に接したかったが今となっては叶わない願いだ。しかし映画は今やDVDで何度も観ることができる。それが幸いなのか不幸なのか。複製品との出会いは音楽にしてもレコードやCD、テレビ映像、DVDを介する現代人の新たな経験の如きものである。その幸不幸に鈍感であってはならないと思う。

 夏は歴史を介してアカショウビンにとっても恐らく多くの中高年者たちにも特別の意味を持つ。それは夏の死者たちとして想起されてもよいだろう。N村君のお母さんやつかの死も日本人や在日コリアンの死として夏の葬列に連なっていく。少年、少女、若者たちが謳歌する夏とは異なり中高年たちは老いて死を予感し自覚し彼らとは異なる時間を過ごす。それはつらくもあるが貴重でもある筈だ。

|

« 内戦の記憶 | トップページ | 辛酸入佳境 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/111335/48880917

この記事へのトラックバック一覧です: 夏に逝く:

« 内戦の記憶 | トップページ | 辛酸入佳境 »