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2010年6月 8日 (火)

故郷

 故郷には平成4年に京都の病院で逝った父の葬儀が奄美で行われて以来帰っていない。昨年亡くなった母は徳之島で育ったから母の遺骨の一部はゆかりの地に散骨したいがままならない。そのような事をアレコレ考えるのもネットで地元紙の徳之島への米軍基地一部移転報道への反対決起集会の記事を読んだためである。

 >59年前に奄美の日本復帰を求める総決起大会が開催され、復帰運動の聖地とされる同小学校校庭を会場に予定していたが、雨のため体育館に変更。大会後のデモ行進も中止となった。

 「日本復帰」という文字はアカショウビンも含めて戦後生まれの島人たちにどのように読まれているのだろう?復帰運動は現在の沖縄での基地反対運動の如く熱烈に展開された様子は父母の話や幾つかの資料で聞き読んだ。3年前に辞めるまで勤めていた都内の会社の仕事で知り合った、少年の頃に名瀬市で育ったという方のお父さんは新聞記者として復帰運動に尽力したと話していた。その縁でネットに掲載されている復帰運動の資料も読むことができた。引用した記事にある「同小学校」とは「名瀬小学校」である。アカショウビンが通った小学校は市内から少し離れた名瀬湾の海辺がすぐ近くの場所にあった。父の葬儀で帰った時は既にその海辺は埋め立てられていた。母校にも立ち寄りたかったが慌しく車で通り過ぎただけだった。名瀬に住んでいた頃に名瀬小学校は何回か訪れたことがある。近くに市庁があり市内のほぼ中心だったが「復帰運動の聖地」だったという事は記事で初めて知った。

 島を離れて千葉や京都に住んでいる従兄姉妹たちはお盆や正月に島に帰っているようだけれどもアカショウビンは実に故郷不幸なバチアタリである。しかし詩人が詠ったように故郷は遠きにありて想うものなのかもしれない。とは言え、島に住む縁故ある人たちとは浦島太郎のようになって昔話がしたくなる衝動は時に間欠泉のように噴き上がり疼くのである。

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